民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

中間発表 若林

【実験について】

民俗芸能調査クラブでの調査を通して、かつての伝統芸能や民俗芸能が、その当時の生活環境に大きく影響をうけながら形を変化させていたことに気付いた。
そうした生活環境と芸能の関係からみた時に、今、現在の私たちの生活環境と芸能、文化とは、どういった関係性にあるのだろうか。
という疑問が出てきた。
また、そうした現在の生活環境から、かつての民俗芸能が担っていたようなコミュニティへの帰属意識、心の拠り所としての文化、芸能は、今の時代にあった形として、新たに生み出すことは可能なのか。ということを実験を通して考えたいと思っている。
その為、今回は民俗芸能と同時に、現在の文化ということで『初音ミク』のライヴを観劇しに行った。
初音ミクのライヴで感じたことを元に実験を創作した。


【実験内容】

・何処にでもあるような、オーソドックスなねこの絵(白黒)を参加者全員に配る。
その紙には『きなこ、3才、メス』
とだけ書かれている。
その他の情報、性格(普段は寝てばっかりだけど、餌が欲しいときだけ擦りよってくる等)や、外見の色や形(首輪はつけているのか、毛の色、等)の細かい設定は、全て参加者各々に創作してもらう。
そうして、自分だけの『きなこ』というねこのキャラクター像を作り、紙上にかいてもらう。
・次に、各々が書き上げた紙を回収し、それら全ての特徴をなるべく合わせて一匹のきなことして描く(鈴のついた赤い首輪、耳に古傷、体は灰色等)
・最後に、一匹にまとめた『きなこ』の絵を先程の参加者全員に一斉に見てもらう。この際に、参加者各々がきなこというねこのキャラクターに対して、先に自分だけのねこのキャラクター像を描いてもらった時のような、『私だけのきなこ』という所有物感を感じることは出来るのか?また、大勢の人と一緒に自分の描いた『きなこ』を見たときに、横にいる人との共有感を感じることはあるのか?を観察する。

【実験のねらい】

初音ミクの『マジカルミライ2014』というライヴを観に行った際に、私は、目の前に存在しない対象(初音ミク)に対して、人間と同じような存在として、また人間以上の神と同じ存在として、観客達が対峙している姿に衝撃を受けた。
また、"一観客"対"初音ミク"という1対1の関係がたくさん見え、観客同志の横と横の繋がりは、ほとんど感じられなかった。
それは、例えて言うなら何百人という観客一人一人の目の前にパソコンが一台置いてあり、その画面に写る自分にしか見えていないキャラクター、アイドルと対峙しているような感じがしたのだ。
私が今まで見てきた儀式や祭りは、初音ミクのライヴと同じように、目の前には存在しない神や先祖の霊等の対象に対して、それがあたかも本当に存在するかのようにして、食べ物や生け贄、芸能を奉納していることが良くあった。
だが、そうした儀式や祭りは"目の前に存在しない対象"対"自分"という1対1の関係というよりも、目に見えない対象に対して、そのコミュニティで一緒の生け贄や芸能を奉納するものが殆どであった。
この1対1の関係性の取り方と"共同体"対"目に見えない対象"という関係の取り方の違いはいったいどこからきているのかを探ることが、ねらいである。

【課題】

この実験では、1対1の関係性があ生まれたように思うが、共同体から1対1の関係性に移行していった過程にはもっと複雑な何かがあったように感じた。次回は、日本の教育のあり方、ネット社会のコミュニケーション等、多方面の分野を調べて試行錯誤したいと思っている