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民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

神ころばしと七十五膳 はぎわら


【奇祭】神ころばしと七十五膳 藤枝市指定無形民俗文化財 - YouTube

9月14日

静岡県藤枝市岡部町

 

 吉本新喜劇では定番の、演者が一斉にコケるリアクション。あれがどうも昔から苦手だった。関東出身の僕にとって、ああいったこてこてのリアクションは、どうも馴染めない。いったいなぜ転ぶのか? ダウンタウンの薫陶を受けた僕らの世代にとって、あのリアクションは前時代的なものとみなされていた。しかし、年をとって丸くなったのか、コケることに対して(あるいはベタと呼ばれるものに対して)どうも抵抗がなくなってきた。ベタは、「古くさいもの」という意味だけでなく「普遍的なもの」という意味も持つ。

 「神ころばし」だ。

 正式名称は「神転ばしと七十五膳」。静岡県藤枝市(旧岡部町)の、若宮八幡宮で3年に一度開催されるこの祭り。これを見逃したら次に見れるのは3年後……ならば行くしかないじゃないか! ということで、静岡駅から国道1号線をバスに揺られること40分、大和武尊も通ったという古来からの交通の要衝・宇津ノ谷を過ぎると、岡部宿の看板が目に入る。

 東海道五十三次の21番目の宿場として栄えてきた岡部地区。この中心地からほど近い、岡部川と朝比奈川の合流する小高い丘に若宮神社は存在した。

 

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 早速余談だ。しかも、まとまりが全くない余談だ。最近、『日本民衆文化の原郷 被差別部落の民俗と芸能』(沖浦和光・文春文庫)を読んで、川のことばかり考えている。川は、民俗芸能にとって、欠かせない役割を背負ってきた。被差別階級の人々は、河原に住み「河原者」と差別されてきた。だが、彼らの中から能楽師や歌舞伎役者が生まれてきたのであり、芸能の民と河原は深い関わりを持つ、とこれは一般的な認識だろう。

 では、なぜ彼らは河原に住んだのか? 一つに、河原が「税金のかからない場所であった」という経済的な理由がある。しかし、なぜ税金がかからないのかといえば、それほどまでに無益な土地だったからだ。

 現代では、河原というと、堤防のある風景を浮かべてしまう。しかし、過去には、堤防のある河原など珍しく、一度氾濫すれば、氾濫するに任せるしかなかった。護岸工事もしていないから、洪水の後には川筋だって変化をしてしまうだろう。

 常に環境が変化する場所で、安定的な土地を求める農業を行うことは難しい。よって、彼らは農業ではなく、例えば漁師や馬喰、猟師、河口付近なら揚重などさまざまな職業に付く人間が多かった。だが、仏教導入以降の古代日本において、魚を含む動物の殺生はタブーとされた。猟師などは、タブーを犯した汚れた民になる。

 金が無いが生産するものはない。特に冬の間は生活が厳しく、彼らも、何かを売らなければならなかった。そこで、河原者が行ったのが「門付芸」というもの。遠く離れた村まで足を運び、各戸を巡って春駒や獅子舞、大黒舞などのオメデタイ芸を披露してご祝儀を得る。このような興行から、歌舞伎や浄瑠璃などが生まれてきた。

 余談2。

 川は、交通の場所であった。道よりも「川筋」が優先されることがある。例えば、和歌山県の北山村は、三重県奈良県に囲まれており、和歌山県とは接していない所謂「飛び地」だ。この村が和歌山県になった理由は、北山川を通じて、和歌山県新宮市と交流を行ってきたから。川は交通手段だった。

 けれども、ただの、交通手段だっただけだろうか?

 例えば、「ご神体が洪水によって流れてきた」ことから神社や祭りを始めたという話は僕が知るかぎり、広島県や埼玉県にある。半ば、伝説ではあろうが、そこには、無意識の欲求が働いているような気がしてならない。つまり、川は何かをもたらすものとして存在する。その、何かとは人の交通や物流という実際的なものだけでなく、例えば、山の神とのつながりなどはなかったか。そして、川を同じくしている=同じ水系に住んでいるということは、何か特別な意味を持っていたのではないだろうか? 天竜川水系の特殊な民俗芸能の豊富さはいったいなんだろうか?

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 閑話休題

 早速神社に向かうと、祭り開始の1時間前だというのに、半裸の男たちが20人くらい神社の階段を駆け下りてくる。「わっしょいわっしょい」と掛け声をかける彼らの多くは中学生か高校生くらいのまだ子ども。小学生も混じっているようだ。しかも、濡れている。いったい何事か、と思って後をついていくと、彼らは朝比奈川に向かう。そこで、バシャバシャと水を掛け合って、また階段(100段近くある)を駆け上がり神社の本殿へに駆け戻る。そして、また、朝比奈川へ……。

 神社から貰った資料によればこれは水垢離=水で身体のケガレをキレイに洗い流すという意味があるという。そして、延々これを7回も繰り返すという。まるで、中学生の部活動のような姿。若いとはいえ、息が上がってしんどそう。中には老人といっていい年齢の大人も混じっている。自分だったら絶対にやりたくない。

 そして、水浴びが終わると、神社の下では神事がはじまる。

 午前中に町内を周った神輿が、神社の境内に入ってきた。しかし、この神輿の担ぎ方も特殊で、神輿と言われてイメージするように、一方向に進むものではない。担ぎ手は飛びはね、神輿は激しく上下しながら右往左往する。鮫洲の深夜神輿も複数の力が拮抗して右往左往しているような雰囲気だったが、こちらのほうがさらに激しい。担ぎて自ら「もっともっとやれよ!」と檄を飛ばして、自分たちを鼓舞している。あと、おそらく神輿と一緒に町内を周ったであろう、榊の木が神輿のように担がれているのも印象的だった。いったい、これはなんだろうか?

 とまれ、神輿が境内に入ると、その前で神主、氏子たちが神事を行う。一般的な神事だろう、と油断していると、そこに登場したのはお櫃だ。神主が、神妙な面持ちでおひつを開けるところから神事は始まる。
神輿(神)ー獅子頭(なぜ?)ーお櫃ー神主ー氏子というラインができていて、あたかもお櫃に対して経緯を払っているようにも見える。うむ、これは……。なお、観ることはできなかったものの、お櫃の中には牛の舌餅という平べったい餅が入っていたらしい。

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 この神事を神社の階段下で執り行い、次いで小学生くらいの女の子たちによる舞浜の舞の奉納。それが終わると、神輿を階段上の本殿に運び、いよいよ「神転ばしと七十五膳」の始まりだ。

 まず、前提として、「七十五膳」という儀式と、「神ころばし」という2つの儀式がこの祭りの中で行われており、それを総称して「神転ばしと七十五膳」と言っている。それぞれ、全く別の行為だ。

 まず、七十五膳について。これは908年に若宮神社が勧進された時に岡部川右岸の住民75軒が作物を献上したのが始まりと言われている。米、麦、粟などの穀物を始め、ウドやわさび、さつまいもとうもろこし大根、里芋、くわい、松茸、鮎などなど。中には、ナスに竹串でスダチを刺した珍妙なものなどもある。資料によれば、古来からのしきたりに則って整えるのに苦労するらしい。このそれぞれの作物を乗せた膳1つ1つをを、数十人の人間がバケツリレーの要領で本殿にまで運んでいく。この間、息を吹きかけないために、榊の葉を口に加えなければならず、音は膳を受け取るときにしなければならない「パン」という柏手のみ。なんというか、非常に地味だし、見てても面白いものじゃない。

 なんだけれども、ここに「神ころばし」の儀式が加わるから大変なことになる。神ころばしは、神社の別の建物(拝殿?)まで、御膳を運ぶ儀式。それだけ聞くと七十五膳とほとんど変わらないのだけど、これを先ほどの水垢離をした半裸の男たちが20人がかりで運んでいくのだ。とはいっても、もちろん、そんなに大きな善ではないから、3人くらいが持ち、あとの人々は、団子状になって前の人の腰を掴みながら走り回る。こちらも、神輿と同様に、敢えて直線ではなく、無駄に右往左往しながら、この膳を届けている。

 そして、この七十五膳と神ころばしとを、なんと同時にやってしまうわけだ。

 方や、静々と執り行われる七十五膳と、半裸の男たちが、賑やかに運ぶ神ころばし。これが、同じ空間に共存することによって、得も言われぬ混乱が生じてくる。観客の視線は自ずと躍動感のある神ころばしに行き、七十五膳は、端っこのほうで、ひっそりとやっている印象だ。

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 神ころばしが捧げる膳は「お獅子の御膳」「御内膳」「お丁屋の御膳」など。これを、あっちへふらふらこっちへふらふらしながら、20人ほどの男たちが運ぶ。ファミレスであれば、皿を4.5枚いっぺんに運ぶウェイトレスの姿も珍しくない。しかし、この人達は、20人がかりで一つの御膳を運ぶのだ(しかも、相当時間をかけて)。ファミレスならばクレームものだが、神はずいぶん悠長なようだ。時には、「小学生チーム」「中学生チーム」「大人チーム」など編成を変えつつ、観客に対するサービス精神たっぷりに膳を運ぶ。

 なお、神ころばしに気を取られていたら、いつの間にか七十五膳が終わっていた。地味すぎるぞ、七十五膳。

 そして、膳をすべて捧げ終わると、本日のメインイベントだ。神ころばしは文字通り、「神」と「転ばす」という単語の複合名詞。神に転ばされ、地面に寝転ぶことによって、神からの霊気を身体に染みこませようという意味があるという。

 そして、登場したのは、むしろにくるまれた人だった。

 彼を、膳と同じ要領で、今度は押しながら運んでいく。いつ転ぶのか、いつ転ぶのか!? と、期待に胸をふくらませていると……

「ゴロ〜ン」

 えっと、これは……転んでいるというよりも、寝かされていると……言ったほうが……

 立ち上がり、また押されるむしろの人。そして、しばらく歩きまわるとまたゴローン。いや、こっちは、新喜劇ばりの「ドテーッ!」を期待していたんですけど……。ゆる~いゴロンが続き、むしろを拝殿に届ける。しかも、2枚運ばなきゃならないのだが、わざわざ1枚ずつ運ぶのだ。

「一気に運べよ」

と思ったのもつかの間、むしろが終わると、今度はゴザにくるまれた人が出てくる。そして、またゴローン。ゴローン……。むしろやゴザに包まれた様子は、どことなく人身御供を連想させるが、どうなんだろうか。なお、神社の資料によれば「古残の者」「心願のある者」がむしろやゴザに包まれるという話になっているが、子どもたちのチームでは、あからさまにじゃんけんをする声が聞こえてきた。

 いや、いや、待て待て。話が違う。僕は、事前に調べた中で、心を惹かれたのは、一斉に転ぶということだった。ひとりが地味にゴロンと転がされるだけじゃないはずでしょ!? そうじゃないと、わざわざ静岡まで来た意味が……。

 町の観光協会がつくった公式ホームページに載っているのだから、もちろん、間違いなどあるわけはない。この後、最後の「瓶」を運ぶターンで、彼らは一斉に転んでくれた。ただし、

「(全員で)ゴロ~ン」

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 こんなキレのないこけ方をしたら、なんばグランド花月の舞台には立てない。転ぶことは、お笑いにとって一つの表現であり、繊細な間やキレが要求されるものだ。これじゃあ、転ぶじゃなくて、「ゴロンとする」じゃないか。どうにも、疲れてへばっている野球部にしか見えない(まあ、かなりハードな動きなので、普通にへたばると思うけど)。

 なお、この「瓶」という演目は、一本の青竹をみんなで肩に担ぎ、「瓶(に似せたわらで編んだ物体)」を運ぶ。この際に、青竹の上に子どもを載せていたら、氏子の偉い人たちがすごい剣幕で「危ないから降ろせ」と怒鳴りつけていた。確かに危ないが、祭りとしては、乗せたほうが盛り上がるような気がするし、祭りとして進化をする瞬間だったような気がする。そんな怒号によって明らかにモチベーションが下がった若者たちは、ゴロ〜ンのゆるさに一層の磨きをかけていた。

 そして、青竹を無事に運び、瓶を模した藁から酒をすくう演技をして、神ころばしの終了が宣言された。なお、終了後、えらい人々が、「(瓶を運ぶのは)3回じゃないの?」ということで、しばし議論をしていたが、「終わっちゃったからもういいんじゃないか」という結論がなされていた。転び方だけでなく、運営までゆるいのか……。

 なお、神ころばしで運ばれた膳やむしろ、酒を使用して神主たちが膳を囲む。やはり、配膳に神ころばしの本質はあるようだ。

 七十五膳と神ころばしについての詳しい資料が地元の図書館にもなくて困ったんだけど、まず、収穫祭としての性質を持っているのは明らかだろう。このうち、供犠が独立したのが七十五膳の方で、配膳が独立したのが神ころばしということになる(配膳の方は、芋競べ祭りの神事とちょっと似ていた。バカバカしさも含めて)。もしかしたら、別々の祭りが統合されたのかもしれない。あと、膳を運ぶっていう振舞いが、どうしてこうやって発展してきたのかはちょっとよくわからないけど、これを見ながら、ダンス評論家の桜井圭介氏が「いかにまっすぐ歩かずに無駄な動きをするかがダンスだ」と(確か)言っていたことを思い出した。

 神主によれば、「転ぶ」という行為については、焼津にも「神ころがし」という祭りがあるらしく、そちらでは、赤ん坊を転がして健康を祈るということ。「転がること」「転がすこと」に、特殊な意味を見出している地域らしい。やっぱり1000年も続いている祭りは、どっかがおかしい。