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民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

田遊び@赤塚諏訪神社(板橋区) 清水

訪問日:2月13日(金)19:00~21:00

 前記事の徳丸北野神社の2kmほど西にある赤塚諏訪神社。創建は1400年代後半だそうで、徳丸北野神社の田遊びを移植したのか、はたまた田んぼで行われていたものを神社で行うようになったのか。徳丸北野神社は境内でこじんまり行われていたが、赤塚諏訪神社は篝り火あり、神輿渡御ありと派手で盛大でだった。

 拝殿前に設けられた三畳程の舞台(もがり)は、忌竹と注連の他、日月鉾、切紙飾りのついた竹の輪(かかし/梵天)、時代劇の火消しが持つまといのような長い竿(竜頭神旗)などで囲われている。もがりの右隣には神輿が置かれ、参道脇には、高さ5m×直径3m程に積上げられたのお篝りが準備されている。お篝りの中心からは竹竿が伸び、突端に達磨が括り付けられている。

 

 19時頃から本殿脇の広間で、神主や氏子ら関係者数十人による唄がはじまった。細かな内容までは聞き取れなかったが、「…かみときみとのみちすぐに/みやこのはるの…」「せんしゅうらくには…」「あいおいの…」「こえとたのしむ」など、言祝いでいるようだ。神酒が座を回り、沢庵のようなものが詰められた盆が運ばれてくる。ぼんやりさと厳粛さが綯い交ぜになっている空気感。完全にリラックスはしていないが、閉じたり硬直したりしていない身体、その場にちゃんと(しようと本人たちはたぶんしていない)「いる」感じがする。

 

 広間での儀式が小1時間ほど続くと、数名が座から抜け、今度は錫杖を持って神主を伴い外から広間にやってきた。神主は上座に祀られていた御幣を持って拝殿へ移動し、祝詞をあげる。そのうち外に天狗が登場し、広間にいた人々が太鼓などを持って外へ出てきた。神輿の前で祈願をし、一人が太鼓の上へ登り扇を扇ぎながら宣誓らしきものを唱える。徳丸北野神社でも歌われたような唄が唱和され、いよいよもがりに上がるかと思いきや、神輿と太鼓とまといの様な竜頭神旗を持って、笛、「やー」の掛け声とともに渡御が始まった。先頭では小学生男子らが背丈ほどの竹をバシバシ地面に叩きつけて先祓いをしている。

 

 「やー」、(太鼓)どんどん、「やー」(太鼓)どんどん、とやりながら歩いて2~3分、神社の真南に位置する広場へ着いた。真っ暗でわからなかったが、後から調べたら浅間神社の敷地であった。

 境内に入ると太鼓の音が速くなり、行列のフォーメーションチェンジ。太鼓を先頭に置き、その上に被さるように竜頭神旗が構えられる。「やー」「いよいよ、いよいよ」の掛け声と共に太鼓が打たれると、竜頭神旗がゆっさゆっさと振られ、暗闇の向こうから破魔矢、大人に空中でUFOのように揺らされる子ども(駒) 、獅子がやってくる。それぞれ太鼓が速打ちされる元来た暗闇の中にスーッと引いていく。10分程度で終わり、再び赤塚諏訪神社へ。

 戻って今度は、参道でもがりに向かって天狗が舞う。のち、浅間神社と同じフォーメーションでもがりを背に太鼓が叩かれ、破魔矢、駒、獅子がやってくる。外から神社に呼んできた、ということのようだ。ゆっさゆっさ揺れる竜頭神旗と「いよいよ、いよいよ」の掛け声がなんともユーモラスだが、破魔矢を振り回すのも、子供を揺さぶるのも、獅子が後ろ向きに一直線に退いていくのも、動きのキレは結構よい。

さて、獅子が帰って(?)いくと、愈々もがりに太鼓と人が乗り、「はあるうくれえば(春来れば)」と唄が始まる。

「町々を数え候」

「東の町へ一万町、南の町へ一万町、西の町へ一万町、北の町へ一万町、中の町へ一万町、併せて五万町」

「一鍬打てば三年の豊作」

…など唄いながら、田に見立てた太鼓に、先端に丸餅がついた竹(鍬)を押し付けながら回る。人が扮した牛も登場しつつ、唄は種まき、苗の生長へと移っていく。参道脇では、お篝りに火が入った。

 唄の途中、一人が太鼓の上に乗り何ごとか唱えながら扇をあおいで、何かを呼んでいる。今度は参道から、寿と張り紙がされた藁人形、翁(太郎次)とおかめ(安女)がやってくる。盆踊りのような手で妖しく踊りながら、翁がおかめを呼び寄せ、がっぷり抱擁。おかめは確実に中年おじさんなのだが、たいへん妖艶である。余談だが、天狗も翁もおかめも面の周りが白い切紙でライオンの鬣のように囲まれている。理由はわからないが、なんとなく豪華な印象。

 

 翁とおかめが退場すると再び唄へ戻る。

 この日はからだの芯から震えるほど寒かった。カメラを持つ指の感覚がどんどんなくなる。お篝りと唄が歌われているもがりとは離れているので、盛大に燃え上がる火にあたることもできない。そんな中、唄を歌うおじさんらは薄着の着物である。だからなのか、掛け声や唄声にやけっぱち感が増していく。特に大稲本と呼ばれる中心的役割の男性の唄い方がよかった。ライブでサビを歌いあげる松山千春のように顔を歪ませながら、まさに絞り出すといった感じで体を使って歌っているように見える。しかもちょっとたのしそうに見える、このクソ寒い中でゆっくり唄っている状況がおもしろくなってしまっている感じだ。

 最後の唄を結んだ直後、大稲本のおじさんが思わず「終わった―っ」と言うと、もがりを囲んでいた見物人からも思わず拍手が送られた。神事や奉納芸能の終わりに拍手をすることに違和感を感じることが多いのだけれど、今回は思わず自然と拍手してう「終わった―っ」だった。