民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

板橋の田遊び(徳丸北野神社) はぎわら


板橋の田遊び 国指定重要無形民俗文化財 - YouTube

2015年2月11日

 

 東京23区の北西にある板橋区・高島平には、高度経済成長期にマンモス団地が設置された。駅前には、まるで壁のようにそびえ立つ団地の建物が幾棟もそびえ立っている。高島平駅から団地を横目にして平坦な道を歩きながら、なんだか「遡れない」という感じを受けていた。とてもじゃないけど、この土地に50年以上昔の歴史があるなんていうことは考えられない。

 でも、もちろん、そんなことはない。少なくとも縄文時代以降、ここは武蔵野と呼ばれる台地の外れであり、人々はほそぼそと生活を営んできたのだ。川越街道を横切って、少し急な坂を登り始めると、ほんの少しだけど、歴史を感じられるようになる。土がむき出しになっているわけではないし、木々が生い茂っているわけではないけど、武蔵野台地に上がるこの坂道は、経済的なメリットを考えると、多分高度経済成長の土木技術でも変化させることは難しかったのだろう。それまでまっすぐだった道が、台地の上に出るとうねうねとした筋に変わる。

 

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 坂道を上がりきって少し歩いた徳丸北野神社では2月11日に国指定重要無形民俗文化財の「板橋の田遊び」が行われる。板橋の徳丸地区と赤塚地区で1000年以上にわたって行われてきたこの芸能は、徳丸地区では毎年2月11日に、赤塚地区では2月13日にそれぞれ開催される。今回は、その徳丸地区のレポートである。

 開始時間を少しすぎて神社の中に入ると、200人あまりのギャラリーがいた。さすが、都心からほど近い場所で行われるだけあって観客も多い。神社の中には、2間×2間ほどの舞台が設えられていて、その上では20人ほどの人々が儀式を行っているようだ。

 東西南北の四方向に向かって礼をして、祝詞をあげる神事が行われた後、底部にモチをつけた棒を持って回ったり、牛の仮面(蛭子さんが適当に描いたようなクオリティ)をつけた男を引っ張って太鼓の周りを回ったり(何回回るのか誰もよく把握しておらず、2周した後に「もう一回回れ」という人もいた)、手ぬぐいを揺らしたり、鍬みたいなものを揺すったりといった儀式が次々と行われる。その間中、ずっと歌が歌われているのだが、この歌がなんだかちょっと癖になる。個人的趣向(と、反発の気持ちから)で、決して「気持ちいい〜」とは思わないんだけど、スゥーッと体に入ってしまうことは確かだ。空間に歌が響き渡っていることによって、(暴力的ではなく)いつの間にかこの祭りに参加をさせられてしまっているような気分にさせられる。

 そんな効果を分析するなら、歌の発声方法が大きく関わってくるだろう。人々は、口を大きく開くことはなく、一度口蓋にぶつけて、その漏れ音が外側に響いてくるというような歌い方をしている。そんな音が「前」ではなく「下」に響くことによって、ジワ~っと空間に浸透していくような効果を与える。つまり、合唱コンクールでは、絶対に許されない歌い方であり、「日本的」と言っていいような歌の発声方法かもしれない。

 40分くらいすると、突如、20分の休憩時間になる。舞台上には酒が持ち込まれ、人々はお神酒を飲みだしていく。中でも明るいおじさんは、舞台の周辺にいる人々にまで酒を勧めている。歌のゆるさ以上に、さらにゆる~い空気が舞台に流れる。

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 休憩時間中、神社の関係者に話を聞いた所、彼は、祭りの意味と共に、この周辺の歴史について教えてくれた。

 かつて、現在高島平団地になっている場所には一面の田んぼが広がっていた。そして、台地の上となる神社周辺には畑と集落があった。人々は、台地の上に住み、坂道を降って田んぼまで出向いたという。そこで育まれた「田遊び」という芸能は、農耕を模しており、舞台中央に設えられた太鼓は田んぼに見立てられる。牛が回ったり、鍬が振り下ろされたりというのは、田んぼにおける労働を模したものなのである。「以前は、朝から祭りを初めて、夜中まで一日中これを行っていました。何回も何回も繰り返して楽しんでいたんです。以前は、舞台もなく、土の上にムシロを弾いただけでした」と彼。おそらく、戦後周辺の環境の変化とともに、祭りは大きく様変わりしたのだろう。

 前半から、歌と踊り(に満たないようなささやかな行為)によって、まるでペイヴメントのデビューアルバムを思わせるゆる~いグルーヴにすっかりと取り込まれてしまった。神社の関係者と話していると、後半が始まり、前半の繰り返しのような儀式が行われていく。これで、舞台が設えられていなかったらどんなに良いことか。民俗芸能におけるマイクの使用と舞台の使用をを蛇蝎の如く嫌う僕だけど、ここまで見物客が多ければ、舞台をつくることもやむないだろう。「ここからが、クライマックスになります」と言われ、舞台の近くに場所を移動する。

 早乙女と呼ばれる子どもたちが舞台の上に挙げられる。どうも苗を象徴しているらしい早乙女たちが、田んぼに見立てられた太鼓の上で「高い高い」をされることによって、五穀豊穣が祈願されているようだ。もちろん、子どもたちはわけも分からずこの浮遊感を楽しんでいる。そして、さらに次々と奇妙な人々が入場してくる。「ヨネボウ」と呼ばれる人形が入場する。どう見てもさくらももこが描いたようにしか見えないこの張り子の人形。とてもじゃないけど、代々受け継がれている品物には見えない。誰か、もうちょっと絵がうまい人がいたはずだ。ざるに入れられたこの人形の男根部分を触るとご利益があるということで、おじさんはセクハラ的に主に女性に触らせたがるし、女性たちも喜んで触る。次に、妊娠したオカメが登場し、さらに暴れ牛、獅子舞、「ヤー」と上島竜兵のような奇声をあげる男などが、まるでプロレスの入場よろしく、衆目を集めながら派手に入ってくる。いわゆる盛り上がりとは異なるけれども、彼らが入ってくることによって、祝祭的な空気が運ばれてくるのだ。そして、舞台上に役者が揃うと、最後にみんなで歌を歌った後、三本締めで終了となった。

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 この田遊びには、ズンズンと身体に響き渡るようなグルーヴではなく、ゆる~く浸透していくようなグルーヴがあり、それに感染した身体にとっては、最後の入場シーンはまるで日差しが差し込んでくるかのような開放感があった。そういう意味では、とてもグルーヴィーな祭の体験となったのだった。