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民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

浅草寺 温座秘法陀羅尼会 清水

 浅草寺HPによれば、江戸中期から始まり、1月12日の「開白」~18日の「結願」まで「観音秘密供養法」を168座、24時間行うもの。座が冷えることがないため温座と呼ばれるそうだ。観音の慈悲を表す陀羅尼文が唱えられることから、陀羅尼会の名がついたという。本堂内部の東側一角に設けられた一室に五色の幕を下ろし結界して行われ、18日最後の座である「結願」では信徒向けに五色幕が引き上げられる。

 17時過ぎに本堂前に着くと既に幕は引き上げられ、室内には住職や信徒らが勢ぞろいしていた。入りきらない信徒や偶々立ち会った観光客らが一室を取り巻くように立って、中の様子を窺ったり手を合わせて小声でお経を唱えたりしている。取り巻きの頭越しにしか内部が見えなかったためどんなことをしていたのかはわからないし、喧騒で外まで声は聞こえない。室の入り口付近に立つと漸く住職全員の読経が聞こえてきた。

 聞き始めでは低くゆったりした音で唱えられており、宗派にもよるがお葬式で聞く声に近い印象。途中転調し、少し明るめの音になった。おそらく唱えるお経が変わったんじゃないだろうか。それが一旦静まると、貫主によって「結願」の言葉らしきものが唱えられ、供えてあったらしい物たちを下げ始めた。あらかた下げ終わったのだろうか、最後の読経が始まる。テンポが速く、音の振幅は大きくないがまるでラップのようにも聞こえる。時折「観世音菩薩」とか「空」とかが聞き取れる。住職たちは基本的に座っているのだけれど、身体は固まっていないというか、それまでの読経の状態と比較すると躍動感を感じた。ざっくりいえば、盛り上がっている感じがしたのだ。長く息を吐きながら読むことで、おそらく副交感神経が優位になり内臓が活発になっているのだろうけれど、それゆえに座っている状態でも盛り上がっている印象を受けたのだろうか。

 テンポの速い読経の最後の部分で声が少し引き伸ばされ音も少し低くなり、「納めた」或いは「結んだ」感じになった瞬間、引き幕が下ろされ、照明が消され、松明を持った二人の鬼が本堂の奥から登場する。これまで見た神事の中では一番演出的にかっこいい。

鬼は竹でできた松明で地面を叩きながら香炉や山門の下をぐるりと回っていく。信徒や観光客は松明から落ちた炭を競って拾っていく。ご利益を期待してのようだが、寺側は特にその意図は押していないようなので、おそらくいつの頃からか誰かが拾い始めたのだろう。まだ燃えていて熱いので、鉄の入れものや箸を持参している人もいた。山門の下をぐるっと回っているときなど、「3回まわるまで入らないでー」と法被姿の男性たちから声が飛んでいた。

 最後に鬼は境内外れの銭塚地蔵堂の前に掘られた穴に火を捻じ込む。火が完全に消えたところで終了、鬼は帰っていく。残された穴は法被のおじいさんによって丁寧に埋められ均されていた。鬼が登場してから穴に松明が投入されるまで30分もないような短い時間だったが、個人的なハイライトは引き幕が降ろされる時と、この穴が埋められる時である。

 浅草寺の説明文によれば、7日間24時間の読経が行われている室の脇で、「曠野に棲むとされる魑魅魍魎や餓鬼」に対する供物への加持が行われていて、それを事前に件の穴に埋めてあるらしい。鬼は松明によって道中で災厄を浄化し、その火を穴に投入することで悪霊も鎮めるということだそうだ。二体の鬼は頭に白い頭巾を被って弁慶のような格好をしており、顔は白塗りに一方は赤、もう一方は青の隈取を施している。頭巾の上に巻いた縄のようなものが飛び出していてそれが角のように見える。鬼と呼ばれているけど、僧兵の姿が原型と思われる。恰幅がよく足取りは悠々としていて、格好は派手だが恐ろしい異形のものといった印象ではなかった。

 鬼が穴に向かうまで境内の明かりは松明のみになるのだが、もはや現代の東京だと周辺の店舗やビルの明かりが煌々としているので、暗闇にはならない。これが松明の火以外真っ暗であったら、また受け取る感覚や雰囲気はちがうのだろう。恐さや妖しさが増され、それによって松明の火やそれを捻じ込んだ穴を埋める行為の、何某かの説得力がより強くなったのではなかろうか。