民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

大磯の左義長まつり はぎわら


大磯の左義長まつり 国指定重要無形民俗文化財 Japanese fire festival in winter - YouTube

大磯の左義長まつり
2015年1月11日
萩原雄太

 大磯といえば、「ドキッ! 女だらけの水泳大会」(フジテレビ)の舞台となる「大磯ロングビーチ」がある土地として昭和生まれの記憶に刻まれた地名である。しかし、大磯駅に降り立つと、その華やかなりしイメージとは裏腹に、駅前にはスリーエフしかない田舎町であるということに気づくだろう。そして、田舎であるということはつまり、祭りがあるということだ。

 1月11日、国の無形民俗文化財に指定されている「左義長まつり」が開催され、寒風吹きすさぶ大磯北浜海水浴場に赴いた。

 

f:id:stminzoku:20150112020841j:plain f:id:stminzoku:20150112020901j:plain

 この「左義長まつり」は、砂浜にうずたかたく積み上げた「サイト」と呼ばれるわら山に、ダルマや破魔矢などを飾り、藁と一緒に燃やすという儀式。関東では一般には「どんと焼き」という名前で知られているが、左義長というのは関西方面の言い方だという。曰く、伊藤博文の側近がどうたらこ歌らという言い伝えがある。だが、そんな祭りのいわれなどはどうでもよくなるくらい冬の海岸は寒い。寒すぎる!!

 点火30分前の18時に大磯海岸に到着すると、そこには多数の人々が詰めかけていた。多くの人の手には、先の方に団子が括りつけられた細い竹が握られているようだ。なんでも、長い竹を使って左義長の火でこの団子を焼いて食べれば、福があるんだか健康に暮らせるのだか何とかかんとかといういわれがあるとかないとか。無論、寒いからどうでもいい。こちらは、早く火が着いてほしいのだ。

 なお、積み上げられた藁の山は全部で9つ。左義長まつりは道祖神信仰の祭りであり、各集落でそれぞれの道祖神を持っている。1つの道祖神につき、1基の藁山がつくられているということだが、あまりの寒さに……。

f:id:stminzoku:20150112020939j:plain f:id:stminzoku:20150112020952j:plain

 18時半、ようやく各藁山に火がともされる。すると、すぐに勢いよく火柱が立ち上がってきた。海辺の強い風に勢いを得た火は、ものの数分で藁山を包み込んでしまうのだ。普段、火に接することがないため、このような火の力を見ているといかに自分が自然から遠のいた暮らしをしているかがわかる。なお、犬の散歩がてら来ている人もいて、火が立ち上がるとともに多くの犬がわんわん吠え始めていた。生物にとって火は脅威なのであり、これを使いこなした人間ってやはり革新的な動物だったんだなということがわかる。

 火を道具として利用する唯一の生物として進化した人間だが、しかし、その末裔たる現代人たちは及び腰になりながら団子を火にくべている。強風がいつ風向きを変えるかわからないし、火の粉が飛んできてジャンパーに穴でも空いたら困るので、うかつに近寄れないのだろう。

 本来ならば、昨年の災厄のようなものを払いのける強力な火の力、それに過去の人々が受けた感覚について思いを馳せるべきだろう。火の力は恵みであり、脅威である。人間たちは火の中に神性を見出した。必要以上に高く積み上げられた藁、そしてそこから立ち上る火柱は、ここではない場所への入り口であり、火が持つエネルギーがその場所の存在を信頼させるトリガーとなるのだ(最近『インターステラー』を見たので、そのイメージ)とかなんとか言いたいところだが、冷えきった身体に火の暖かさが嬉しくそんなことは考えなかった。

f:id:stminzoku:20150112021023j:plain f:id:stminzoku:20150112021048j:plain

 さて巻き起こった火柱が一段落すると、どこからかふんどし姿の男たちが登場している。「ヤンナゴッコ」という儀式の始まりだ。

以下、公式パンフレットより引用

「子の神、大北、長者町の3箇所サイトの海側の3箇所で、悪霊、疫病神が押し込められている藁縄で編まれた宮橇が裸坊によって海に入れられ、陸との引き合いが行われます。この宮橇を伊勢音頭(左義長音頭)を歌いながら道祖神に収めます」

 一升瓶に入った酒を回し飲みし、気合を入れて海に飛び込む男たち。陸との綱引きを行っているものの、完全に海側が主役だった。

 極限の寒さは、彼らにとても「いい声」を出させる。声を合わせて綱を引っ張っていた彼らは、陸に上がると、歌を歌い始めた。この歌の声のよさは、冷たい海に入って思わず叫んでしまうような声と同じ種類のものであるような気がしてならない。

 海岸を離れ「長者町」という部落の人々がつくる行列についていく。

 「ヤンナゴッコ」の延長で、ふんどし一丁の男たちが橇に跨がり、大勢の人々が引く綱によって引きずられていく。少し引かれると立ち止まり、歌が2曲ばかり歌われ、また引かれ始め、また少しすると止まって歌をうたうという繰り返し。海岸からスタートし、途中国道を横切るために中断されるが、住宅街に入って集会所までおよそ500mの距離を進む。湘南の瀟洒な家と、奇祭っぷりの落差にクラクラとしてくる。

 しかし男たちは褌一丁なのでもちろん寒い。寒さを吹き飛ばすためには歌うしかない。自然、威勢よく歌うしかなくなる。左義長音頭とは、寒いという環境に身をおくことによって出さざるをえない声が生み出した歌なんじゃないか。歌いたい歌ではなく、歌わずにはいられない歌に込められた切実さは、とても信頼できるのではないか。例え、その切実さが「寒すぎる」というばかみたいな欲求に基づくものであっても。