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民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

三浦 面神楽 羽太

2014年11月9日(日) 16:30〜 神奈川県三浦市 海南神社 

 

横浜から車で約1時間、畑と海に囲まれた三浦半島の最南端に位置する 海南神社に向かう。

幼い頃、沢蟹の産卵を見に三浦に来たことを思い出す。 当時住んでいた大船の田舎からも、さらに遠く寂しい所だったと記憶している。

 

広々とした畑を通り過ぎてしばらく走ると三崎漁港に出た。

入り組んだ入り江に停泊する漁船と、灯台のサーチライトが漁師町の風情を醸し出している。 観光客向けらしい飲食店がポツリポツリとあるが 到着したのが既に17時を回っていたためか、歩いている人が全くいない。 ほとんどの店はシャッターを閉じていた。

まったくうら寂しい場所だ。

車から降りて、商店街を入っていくと、突き当たりにこぢんまりとした神社があった。 お囃子の音が聞こえてくるが、あまり人がいる気配が無い。

 

 

屋根のある立派な神楽殿の前には 簡易的に設置された客席があり、観客がまばらに座っていた。客層は子供から 高齢の方までまんべんなくいるが、観光客らしい人は少なく、ほとんどが地元の 出演者の家族、友達といったところだ。

 

面神楽のfacebook情報によると、 前日の8日には、湯立神事というものがあったそうだ。 湯立て神事の時に撒くアラレ餅、お湯を頂くと風邪を引かないと言われており 毎年、水筒を持ってやってくる観光客もいるとか。

 

9日の演目は国固め、ちのり、恵比寿の舞、醜面、種まき、羅生門大江山

翌日10日には、国固め、三人和合、湯立て、勘当場、大蛇退治、岩戸開きと 神話を題材にした演目を行なう。全国で神職が演じる神楽が多い中、三浦の神楽は 氏子が演じることで有名だそうだ。

 

行く前に、観光協会に開演時刻を訪ねたところ 「16時半か17時」と曖昧な回答を得た為、17時過ぎに行ってみたが既に 「ちのり」という演目の真っ最中だった。

 

「ちのり」というのは、弓の名人の紀千箭(きのちのり)の名前。 稲荷山の悪鬼退治を題材にしており 稲荷大神が、ちのりに、民を苦しめる悪い鬼たちを退治するよう命じる。 稲荷大神から弓矢を授かったちのりは勇躍して稲荷山に向かい、 鬼の一人に弓を射ると、鬼の腹に刺さる。鬼達は手術をして弓を抜き、結果その鬼は元気になる。 最終的に、鬼はちのりと相撲を取り勝負に負け、二度と悪事を働かないと誓う、というストーリーだ。 鬼との闘いの前に、「引き弓の舞」というのを踊り、鬼を退治した後は「発弓の舞」を踊り凱旋する。 ちのりの二つの舞がこの物語のメインらしい。

確かに物語としては、あまりよくわからなかったが 物語はそれほど重要ではないのだろうか。

大辞林によると、千箭とは 「千本の矢が納められていること。また,たくさんの矢が差し入れてあること。」とある。 千本もの矢を自在に操れるとは、ちのりとは、一人で千人力の 勇猛果敢な猛者の像が想像できる(勝手に想像しているだけだが)。 物語そのものより、弓矢という武器の強さを舞で表現する方が重要なことなのかもしれないと思った。 ちのりは、腰を低くおろし勇壮に舞う。

腰の入り方を見ていると、相当練習している様だ。 舞を見ていると、腰を低く落とし、膝を曲げ、すり足で移動、上半身でゆったりと弓を操る所作をする。

これが クラシックバレエのように、つま先で移動し、上半身で弓を華麗に操ったら弓の印象がだいぶ変わってくるな と想像しながら見ていた。

 

「ちのり」が終了し、続いての演目の準備を始める。準備をしている人たちの身体が 日常過ぎて面白い。例えば、演目の書かれた半紙の垂れ幕?を二人がかりで、ああでもない こうでも無いと延々とめくっていたり(上演順になっているわけでない為) 出番を終えた音頭取りのリーダーのような方が、衣装を脱いで、だらだらと横切っていったり 緊張感は皆無。

 

続いての演目「恵比寿の舞」。これはもうおなじみの、恵比寿がタイを釣って豊漁となる オメデタイ物語だ。恵比寿の舞の前に村人がひょっとこのような面をつけ、おもしろオカシクでてくる祭りの シーンがある。大人に混ざって子供も出て来て、掛け合い漫才のようなこともする。 皆、息が合っていて楽しそうだ。 身体性も技術もまちまちな人たちが、一緒に動いていく中で、独特なリズムが生まれてくる。 そこにある基準となるリズム(笛や太鼓)があるにも関わらず、そこからは自由度が高いように見えた。

 

最初は、音と踊りの関連性を見つけようと見ていたが、途中でやめた。 村人の中に特に動きが柔らかく、魅力的な人がいた。 恵比寿の舞も素敵だった。振付はいたってシンプルで、腕を挙げたり、首をかしげたり 「振り」「所作」の連続なのだが嫌らしさがなく、「普通」なのである。 あまり外の目線を気にすることも無く、見せている、という意識を感じさせないところが 良かったのかもしれない。

踊りって、本来は、こういうシンプルな振りの集合体なんだなと思いながら見ていた。 地元の方は、現在も漁業で生計を立てていらっしゃる。舞手の方全員が漁業をされている訳では ないとは思うが、その年の豊漁を願う踊りに対する姿勢がもっとシビア、というか 芸能自体に必然性があるように見えた。

 

最後に見た「醜面」という神楽も圧巻だった。 女が公家が持つ鏡を手に入れようとするが、断られ怒りにまかせ力ずくで鏡を奪い、自分の顔を見る。 すると鬼女に変じた自分の姿に驚き身を滅ぼすというストーリー。 最初は、しなやかに踊る女が、鏡を見た後に踊りながら女の面から鬼の面に変える。 最後のクライマックスまで、音も徐々に厚みを増していく所がまさに手に汗握る程 緊張感に満ちていて、魅了された。

 

その日は、予定があった為、「醜面」を見終えて帰ったが 三浦の面神楽自体、全体を通すと4時間以上はかかると思う。 それを2日間、演じる方は、相当体力を使うだろう。 以前、出雲の石見神楽、本牧のお馬流しの神楽を見たが 三浦の神楽が一番面白いと感じた。それはなぜかと考えると、生活と芸能が 身近であるということなのかもしれない。伝承されてきた芸能を自分達のものとして 演じるのと、ただ伝承してきた形をそのまま演じるのとでは、全く違うものになるが 三浦面神楽の場合は、生活と密着した自分たちの踊りとして落とし込まれているように見え それが、振付、神楽自体を生き生きと鮮明なものにしていたと思う。

 

 

 

海南神社の縁起は以下の通り(Wikipediaより抜粋) 御祭神である藤原資盈(ふじわらのすけみつ)が、 清和天皇の治世、皇位継承争いに絡んで左遷され 任地の筑紫国へ赴く途中で暴風によって三浦半島に漂着 当地の長に推戴された。 その後資盈は房総の海賊を平定し、また福祉に努めたため地元民から崇敬され、 貞観8年(866年)に資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀った。 天元5年(982年)になると、現在の地に社殿が建立され、三浦郡の総社となった。 承応2年(1653年)には正一位に列せられ、享保4年(1719年)には三浦半島の総鎮守となった。 明治6年(1873年)に郷社となり 明治40年(1907年)に神饌幣帛料共進神社に指定されている。