民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

入曽の獅子舞 清水

入曽の獅子舞 いりは~ごろしち - YouTube

訪問:10月18日(土)15時~16:30 @金剛院(埼玉県狭山市南入曽)

 入曽の獅子舞は現在毎年10月の第三週土日に、金剛院と入間野神社で奉納されている。かつては農家や自営業が多かったため、10月14、15日に固定されていたが、10年程前から現行の日程に変わったそうだ。
 入間野神社の案内板によれば、獅子舞の起源は明らかでないが、宝暦8年(1758年)に描かれた獅子舞の懸額が神社に残されており、それ以前から伝承されているようだ。干魃時には雨乞いをしたり、疫病流行時には各戸を回ったりしたと伝えられているとのこと。昭和54年に県の無形民俗文化財に指定。
 金剛院は入間野神社の別当寺であり、獅子舞奉納も寺から神社に対して行われているそうだ。獅子舞の中の「うた」という演目で歌われる詞の内容も、主に入間野神社が創建されたことを祝うものとのこと。神社掲示によれば、入間野神社は旧号を国井神社(後に御嶽権現)という。農業用水を天水に頼るしかなかった狭山丘陵では、大規模な井戸が掘削され、当時は同神社に井戸の神・水の神が祀られたという。

 


 西武新宿線入曽駅から徒歩10分ほどの場所にある金剛院。更にそこから5分程の位置に入間野神社。よく例祭の行われるときにみかける提灯や注連縄などは町には見当たらず、祭の雰囲気は感じない。金剛院の敷地内にも人はぽつぽつだったが、獅子舞奉納の始まる15時頃から地元の保育園児ら100名近くが押し寄せてきた。他の見物人は20人程で、主に舞手の家族や地域の年輩者のよう。秋晴れの天気も手伝ってとても長閑な雰囲気。

 15時、奉納が始まる。
 本堂の中から囃子とササラを擦る音だけが聞こえてくる。紅白幕が張られているため、姿は見えない。5分ほど囃子が流れたあと、幕が開きいよいよ登場。この獅子舞は、棒つかい2人、ササラ(花笠)4人、法螺貝一人、笛8人、唄3人、天狗(はいおい)一人、先獅子(黒)、中獅子(赤)、後獅子(焦げ茶)で構成される。

 棒つかいから順に出て列をなし、一旦本堂真正面の門へ向かい折り返して、舞台となる本堂前の野外スペースへ入場する。入場の際はまず、棒つかいが「では、参りましょう」と言って互いの棒を打ち合わせてから後の者たちが入場。清め祓いらしい。同時に入場前の獅子たちは頭を大きく振りながら舞始める。これが「いりは」の舞。

 獅子たちは跳びながら前に進み入場、「ごろしち」が始まる。縦一列に並んだ獅子たちが太鼓を激しく叩きながら、地面を強く踏み鳴らして舞う。踏んだときの振動が地面を通して伝わってきた。全身を使って跳躍し、踏み込みに体重を乗せている。かなり激しい舞だがバランスは崩れない。縦一列から円になり、再び一列になり、というのを繰り返し、三度円になったところから「曲りぐるい」が始まる。

 天狗とともに円になって、跳躍しながらポジションを変えて周る。頭を左右に振って踏み込みも激しい。そこへ、長くて太い竹竿がリンボーダンスのバーのように下ろされ、天狗・中獅子(女獅子)と先獅子・後獅子(共に男獅子)を分断。「さをがかり」の始まり。

 どうやら男獅子らは女獅子のいる方へ渡りたい様だ。頭を振って跳躍しながら竹竿に絡んでいくが、どうにも渡れないためか、竿に手を当て跪いて考えるような力を蓄えるような体勢になる。初めから相当激しく舞っているので、介添役が扇子で獅子頭の中を扇ぎに来る。長考を終えて力を溜めた後獅子が先にめでたく竿をくぐり抜け、女獅子と向かいあって舞う。それを眺めていた先獅子は、後獅子より更に激しく身を翻しながら跳躍し竿に体当りするように向こう側に行こうとする。後獅子に先を越された悔しさや怒りみたいな、自分もあちら側へ!という感じが見えて、とてもおもしろい。後獅子同様、長考の末に竿をくぐり抜けてからは3匹一緒に舞い、再び「曲りぐるい」。

 その後、今度は四隅にいたササラが中央付近に集まり、その周りを獅子が周る「花すい」が始まる。途中、片足を前方に伸ばして低い体勢をとりながら花笠を眺めるような場面が入る。ササラのかぶる花笠は、土台部分からおそらく1m弱あり、小学校低学年の体格では安定しない為、大人が常に後ろから支えている。風のある年は煽られて大変なんだとか。囃子にあわせて見学の園児たちが手拍子を始めた。

 ササラが再び四隅に戻ると、次は「うた」。獅子たちは本堂に向かって横一列に並び、後ろ足を伸ばして跪く低い体勢から始まる。他の舞でもそうだが、天狗は獅子に向かいあって指揮者のように、手に持った軍配とハタキのようなものを振る。「うた」のはじめでは一旦囃子が止んで唄のみで舞い、一度舞ったところから囃子が入ってくる。先ほどまでと比べると少しゆったりした舞となり、左右後方を眺めるような体勢や、しゃがんで空を見上げながら上半身を大きく回し立ち上がる体勢などが入る。

 おそらく一つ一つの体勢に意味があるのだが、聞き知ることは出来なかった。ただ、空を仰ぎ見てから天に突き上げていた腕をゆっくり降ろす動作は、神社掲示にも書かれていた雨乞いを連想させる。また、笛方で40年以上この獅子舞に携わっている方の話によれば、獅子頭から後ろへ垂れ下がっている、様々な色の布が縫い付けられたものは、鱗であり龍=水神の象徴ではないか、とのことだった。

 「うた」の後はまた「曲りぐるい」が入り再び「うた」が行われ、最後に「ひきは」となる。「ひきは」は最初の「ごろしち」に似ており、並びが横一列になったもの。「ひきは」を終えると、サイドでずっと見守っていた棒つかいが再び互いの棒を打ち付けあって、全員退場。ここまでが前庭(前狂い)と呼ばれる前半だそうだ。

中入りを挟んで16:30から後庭(後狂い=「みつはね」「岡崎」「唄」「岡崎」「けんか」「ひきは」)が行われたが、時間の都合で見ることは出来なかった。


 中入り中、先ほどの笛方の人にお話を伺った。

 前庭のメインは「さをがかり」と「うた」だそうだが、お勧めは「いりは」の道行の最中の舞だそうだ。特に入間野神社で奉納する翌日は、前庭を金剛院で行った後、今日は閉まっていた寺の門が開きそこから神社まで道行があり、そのときの舞は勇壮でよいらしい。

 舞の保存継承は獅子連という団体によって行われているという。以前は近隣の小学校の生徒が行っており、先輩が後輩を誘って受け継がれていく流れがあったそうだ。しかし、廃校となって生徒が地域的に離れた2校に分かれてしまい、何年かすると舞手の確保が難しくなるかもしれないということだった。また近隣の川越まつりと日程が重なるため、奉納に立ち会う人数も減っているのだとか。

 駅に降りた時あまりにも祭の匂いがしなかったので入曽の獅子舞への不安が大きかったのだが、予想を裏切ってとても見ごたえのある舞だった。ほぼずっと体や頭を左右に振って跳躍するかなり激しい舞だったので、若い人がやっているのかと思いきや、20代も一人いるが最年長は50代だそうだ。舞手は天狗やササラ、棒つかいなどの子役を経験してから獅子を舞うんだそう。指揮をとる天狗(小学2~3年生)が終始かわいらしかったのだが、役割も舞も大変そうな天狗をなぜ小さい子がやるのか聞くと、「獅子より大きいとかわいくないでしょ」とのことだった。たしかに。天狗の持つ軍配には「風雨和順、五穀成就」と書かれている。

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 後半の後庭や翌日の奉納での盛り上がりは如何ばかりだったろうか。この日見た限りでは、観光化されておらず、農家が減り、地元小学校が廃校となった状況の中で、見ごたえのある舞が残っているのは、先輩から後輩へといった継承の流れが自主的に行われているからではないだろうか。この獅子舞は単純にいえば格好よかった。そういった格好よさであるとか、たのしさであるとかが、自主的な継承には必要なのだと思う。勿論、ただたのしいだけでなく練習に割く時間や労力があり、地域での関係や無形文化財指定によって「やらねばならない」義務感もあるだろうが、それだけで続くものでもないのだろう。

 奉納がはじまる前、準備中の天狗の男の子は装束を着せてもらいながらカメラに向かって何度もピースしていた。