中間発表 清水
幾つかの念仏踊りや盆踊りに参加して、こんなことを感じた。
・同じ振りでも身体の流れが一筆書きのように見える人を真似ると覚えがはやかった
・上記のような人を真似るというとき、その人のノリを自分の体に移すような感覚だった
・同じ踊りの輪/列の中でも、場所によって踊りのニュアンスが異なった
・踊っていると個人の感情や思考や自意識と踊りが切り離される感覚があった
・「個」が際立って見える踊りと、個が埋没して「集団」として見える踊りとがあった
そのことから、こんな問いが浮んだ。
「身体のノリが伝播していくことで『全体の流れ』が生まれているのではないか?」
「ノリの伝播によって生まれる『全体の流れ』は均質的ではなく、バラつきが内包されるのではないか?」
「ノリの伝播しやすい身体というものがあるのではないか?」
「個人を縛りすぎず、かつ分離しない緩やかな集団性には、なにが必要か?」
【狙い】
「全体の流れはどのようにしてできるか」を念頭に置きつつ、今回の実験では「身体の流れが見えやすい人」と「流れがみえにくい人」を真似たとき、ノリや動きの伝播の仕方、全体の流れの出来方がどのように違うかを観察する。
【実験】協力者5~6名
◆清水:身体の流れが見えやすい
萩原(調査クラブ):見えにくい
と想定し、下記手順Aの1回目を清水、2回目を萩原が担当。
◆事前に清水・萩原は各々佃島念仏踊りの振りを思い出して軽く練習しているが、他の協力 者は振りを知らない状態。
◆佃島念仏踊りの振りを借りたのは、「振りが簡単なこと」と「どちらかのオリジナルではないこ と」から。別の振りでも可。
- Aが一人で踊る
- Aの後ろに一人ずつ円になるように連なって、目の前の人の踊りを真似る
A←(真似る)←2人目←(真似る)←3人目←(真似る)←4人目…といった具合
- 佃島念仏踊りの囃子をかけてみる
※Aを交代し、1~3を繰り返す
【観ていた方・協力者の感想】
・前の人を真似るのが制限に感じる
・(動きの)最大公約数をとってしまう
・曲が入ると楽、身体をあわせるグルーブが掴める
・はじめと終わりで踊りがどんどん変化していった
踊るときなにを見るか?
・足…足元を真似られれば上は従うから
・細かいところを真似しようとした
・全体…完璧に真似しようとした
・(今回の実験に限らず)盆踊りに加わる時、全体に共通するエッセンスを掴もうとする
また、佃島念仏踊りと池袋にゅ~盆踊りの映像を見比べ、下のような感想があった。
・(にゅ~盆踊りは)どのようにノるかがはっきり提示されている
・(にゅ~盆踊りは)ダンスのカラオケのよう、「私の歌唱」といった感じ
・佃島は(個々人が持っている)身体の種類の違いが見える、にゅ~盆踊りは見えない
【まとめ・課題】
今回の実験では、Aの身体性の違いが全体の流れの形成にどう影響をするか、比較することは難しかった。「身体の流れの見えやすさ」に関して、Aを担当した清水と萩原の間に大きな差をつけることができなかったのが、要因としてまず一つ。また、「真似ること」に重点がいってしまい、感想にも出たようにそれが個人への制限として働いてしまった。Aや目の前の人の動きを「正解」として、その「正解」を探り、そこへ向けて身体を矯正していくような踊りになった印象。時間をかけて動きは伝わっていったが、身体感覚としてのノリが伝播していったようには見えなかった。
《改善案》
・「真似る」という指示の言葉上の変更
(「踊りを覚えて」「踊りに加わって」「ノリを掴んで」等)
・Aを複数にする
・Aがノリを掴んでいる動きを使う
狙いがうまく観察できなかった代わりに、「全体の流れはどのようにつくれるか」、今回の実験を通して改めて考えることになった。実験の中で佃島念仏踊りの音頭を流すと、無音のぎこちない状態よりは踊り手全体のまとまりがよくなったようにみえた。感想にも出たし自分で踊った実感としても、音は全体の流れを形成する上でかなり大きな要素だった。音を途中で止めたり再びかけたりして、違いを観察しても面白いかもしれない。盆踊りや神楽などの囃子に、踊り手や舞手がどのようにノっているのか、音との関係のとり方を探ってみたい。