民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

芋競べ祭り<前編> はぎわら


近江の芋競べ祭り 国指定重要無形民俗文化財 - YouTube

 

調査日:2014年9月1日

 

「芋競べ祭り」という名前を聞き、いてもたってもいられなくなり、滋賀に行った。

 ガチャガチャ揺れることから「ガチャコン」の異名で親しまれている近江鉄道に乗り、彦根から1時間30分。車窓からの眺めはなんだか埼玉県のように見える。だらだらと平野が広がり、ポコポコ里山が点在。田園風景にそぐわない大きな工場が時折飛び込んでくる。そうか、京都を中心に考えれば滋賀は埼玉のポジションなのか、と一人で合点しながら、日野駅に着く。

 


 小雨というほど小雨ではないけど、大雨という程ではない微妙な空模様。うーん、としばし悩んでレンタサイクルを借り、傘をさしながら向かった。バスのほとんどない田舎の駅にレンタサイクルがあるのは嬉しいが、田んぼの間をチャリで疾走し、えらく道に迷った挙句雨脚が強くなる。祭りにつく前からずぶ濡れになりテンションはだだ下がり。道を聞こうにも聞く人がいないし……。ダンプカーに水たまりの水を引っ掛けられるなど災難が続きながら、ようやく芋比べ祭りの行われる中山地区にたどり着く。

 この祭り、起源は800年前とも900年前とも言われており、その由来も定かではない。毎年9月1日に中山地区にある熊野神社で開催されている。

 なぜ「芋競べ祭り」と言われているかというと、芋をくらべているからだ。

 中山地区には、中山東と中山西という2つの集落があり、それぞれの畑からとれた芋(里芋)の長さを対決。西が勝てば豊作、東が勝てば不作ということになる。しかし、よくわからない。不作になったら、中山東の人も困るわけで、それだったらわざと西に勝たせればいいじゃないか。なのに、両者とも全力を注ぐのだ。うーん……。

 

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 中山東地区に辿り着くと、納屋のような場所でカメラマンたちが待機している。この向かいの集会所で、着替えが行われているそうだ。自転車を止め、暫し待つ。すると、絣を着た男の子たちが親に連れられてやってきた。カメラマンたち、色めきだち、カメラを少年に向ける。さらには、「ここに立って」「ちょっと話をしてみて」と、撮影会が始まった。親たちも混ざって写真を取る。

 12時半頃に、裃を着けた男たちが集会場から出てくる。そして、記念撮影をした後に、子ども(5人)、青年(5人)、おじさん(数人)という形で歩き出す。どうやら、熊野神社まで歩いて行くようだ。もちろん、この道行も撮影大会に。

 ここで、芋比べ祭りに参加する人びとの役割を紹介。まず「山若」と呼ばれる裃を着た青年。これは16歳から年長に7人が勤める。一番年下は、今年天理高校野球部に入学した男の子で、わざわざ、野球部の練習を休んで、この祭りに参加しているという。年上から1番丈、2番丈と呼ばれており、最年長でも22〜3歳の若者だ。絣を着た少年たちは山子と呼ばれ、8-14歳の子どもたち。そして「宮座」や「勝手」と呼ばれるおじさんたち。彼らはかつて山若を務めていたOBであり、裏方として山若の祭事を補佐する。つまり、芋競べ祭りは、中山地区における通過儀礼のような儀式であり、ここに集う男たちを見ていると村の序列や秩序が見えてくる。かつては長男しか参加が許されなかったが、少子化の折、現在は次男以下でも参加することができるようになっている。

 祭りは、いつから「見られる」ということを意識したんだろうか、と考える。そもそも、神に見せる(捧げる)儀式であり、人から見られるものではなかったはず。そこに人の「視線」が入ってくることによって、確実に変化は生まれるはず。しかも、それは多分そんなに古い話ではないだろう。確か、「観光」について、いとうせいこうが『見物記』で書いていたはず。しかし、詳細な内容は忘れてしまった。「見られる」ことを廃したら、演劇はどうなるだろう? と、ぼんやり考える。成立しなそうな気がしなくもないけど、でもそれが成立するとしたら?

 

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 15分ほどで、熊野神社に移動。境内には、西と東に分かれて、テントの舌で供物が置かれている。餅、豆、米粉でつくった鮒(鯉?)みたいなもの、酒、そして「かわせのはんぎり」と呼ばれる人形と鮒みたいなやつをあしらったたらい。正直、どれも美味しそうではない。

 男たちは社務所の中で、神事を行う。酒を注ぎ、飲むという神事のようだけど、これがちょっと変わっている。トントントンと足を鳴らし、相手の前へ、酒を注ぐときには大仰に腕を回して柄杓から注ぐ、飲む方も、かわらけを必ず音を立てなきゃならないみたい。「コン」といういい音が響く。ただ、地味だ。音曲もないし、セリフもない。舞というほどのものではない動きを見続ける。そして、しばらくたち、やにわに立ち上がると、移動を開始した。

 本来であれば、熊野神社からさらに歩いて15分ほどの場所にある野神山という小高い丘の上につくられた祭場で行うのだが、本日は雨のため熊野神社境内の神楽殿? で行う。

 はたして、どんな比べ方をしてくれるのか? とワクワクしていると、……はじまらない。またしても神事だ。神事が長いとは聞いていたが、本当に長い。この日は2時間もの時間を信じに費やしていた。

 神事の内容としては、
・神を拝む
・神にお膳を捧げる。
・自分たちの御膳を用意する
・盃を捧げる
・自分たちに盃を出す。
・神の膳を下げる

などなど。ものは実際に食べることはなく、盃は飲んでもいいし、飲むふりだけでもいいらしい。神事といっても、神主もおらず、ゆるーい雰囲気で進行。私語があったり、型を間違えてはにかんだりしている。各儀式の間には、東西とも2番丈が何かを言っているようだが、あまりにぼそぼそとしゃべりすぎて、なんと言っているのかはよくわからない。

 

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 なお、西の集落では男神を表していて、足袋の色が黒い、一方、東の集落は女神であり、足袋の色が白い。また、装束だけでなく、身振りでも、西のほうが荒っぽく、東の方が上品……ということを聞いたが、正直違いはよくわからない。

 ここでの盛り上がりのピークは芋の入場だ。今朝とった芋を竹に巻きつけ、両陣営とも神社の本殿に収めておく。しめ縄で芋が巻かれた5メートルはあろうかという竹が入場してくると、おお! という歓声が上がる。物の本を読むと、「かつて、おられてしまったこともある」ことから、朝獲るようになったと書かれているけど、この日、村の人に聞いた話によれば「前日の夜にとったものでは、萎んでしまうから」当日朝にとっているらしい。狭い神楽殿の中、青竹は斜めに立てかけられ、さらには動かないようにインパクトで固定されていた。

 

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 そして、神事の中でも異色なのが「神の角力」。おお、相撲か、勝負は芋だけではないのか! と思って見ていると、「山子」と3番丈が立ち上がる。角力といっても、東西の対決ではなく、さらには集落内の対決ですらない。

同じ集落内の山子2人が向かい合い、上半身をくの字に折り曲げ、腕を広げる。そして、行事の三番丈により

これが今日の神の角力
角力始まり、大手よし
かーち一番、今度の勝負で突き倒せ

という。

これを東西交互で何回か行う。セリフは微妙に変化するが、大差はない。行事の発声は特に気合が入っているというわけじゃないけど、独特のゆるいニュアンスが合って、なんだか蛭ケ谷の田遊びを彷彿とさせる。

 それと3番丈には、酒をガンガン飲むという役割がある。というのも、今日、芋を測るのは3番丈の仕事。メインを務める山若の中でも、さらにメインどころが3番丈なのだ。酒を注がれ、飲み、注がれ、飲み、注がれ、飲みを繰り返し、「もういらん」とばかりに盃を拒否しても、またドンと注がれてしまう。それまで酒を飲むフリがOKだったにも関わらず、ここではどうやらガチで飲まなきゃならないらしい。このやりとりの間でなんだかんだ2合か3合くらいは飲んでいるんじゃないだろうか。

 そして、神事の開始から2時間。ようやく15時になって、芋くらべが始まった。東の3番丈は、UKインディーロックバンドにいそうなちょっとしたイケメン。方や、西の3番上は西郷隆盛のようなガッチリタイプ。はたしてどちらが勝つのか……。

 

後編へ続く!