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民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

にゅ~盆踊り 清水

にゅ~盆踊り @池袋西口公園 8月10日17:00~20:00

 豊島区立舞台芸術交流センター「あうるすぽっと」の企画で、池袋在住でダンスカンパニー「コンドルズ」を率いる近藤良平氏が創作。2008年から始まり、初年度は劇場内でWSと公演が一体になった企画として開催。翌年以降は会場を池袋西口公園に移し、今年で7回目。振付を解説した「教則ムービー」がYoutubeにアップされ、事前に約1週間のWSを区内各施設で開催。200名以上のWS参加者は「シャー」と呼ばれる盆踊りリーダーとして、当日参加者に振りを教えたり踊りの輪へ誘ったりする。当日の様子はニコニコ生放送で配信もされた。HPによれば「集い、踊ることは楽しい。だからその楽しさを使って池袋の街を盛りあげよう!」とのこと。劇場が地域との交流を図ったプロジェクト、地域に対する劇場の役割や価値を示す一環と思われる。

 

【レポート】

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 台風11号の影響が心配されていたが予定通り開催。18:00過ぎに池袋西口を出ると、叩きつけるような雨。西口公園の真ん中で櫓だけが盛大に雨に打たれている。参加者たちは、西口公園のトイレや屋台テントで雨宿り。ステージではコンドルズメンバーが雨止み請い。30分ほどで雲が抜けて、再スタート。台風の影響で、例年よりもすべり出しの人数は少ないそうだが、ぞろぞろと櫓周辺に集まってくる。近藤氏がマイクで再開の合図をすると、拍手や歓声があがった。フェスみたいなノリ。

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 初めは、炭坑節・東京音頭・お祭りマンボ。盆踊りの団体所属のおばさま方が手本としてステージと櫓で踊る。櫓の周りで手本を見ながら楽しそうに踊る若者たち。20代~30代が中心のようだ。予想以上に序盤から盛り上がりをみせている。

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 その後、ダンスカンパニー大山プロジェクト作の踊り。山本リンダの「どうにもとまらない」に乗せたかなりアップテンポな動き。炭坑節や東京音頭、あるいは佃島の念仏踊りに比べると、繰り返すまでの1ターン中の動作が多い。歌のサビや間奏は繰り返しの動きではなくなる。また佃島念仏踊りの動作が、まるで身体で一筆書きをしているように流れに無理がないのに対し、大山プロジェクトの振りは、その速度も相まって、積極的に四肢を動かさないと踊れない。毎年参加しているのかダンス経験者なのか、すぐに踊れる人もいたが、ダンス未経験者には覚えるのも踊るのも難しい。ついていけない部分は、自然と手拍子をすることになった。参加者たちはぎこちない動作ながら、一生懸命に四肢を動かし、ニコニコしながら踊っている。

 最後に近藤良平氏創作の踊り。大山プロジェクトのものよりはテンポがゆるく覚えやすいが、佃島念仏踊りや炭坑節・東京音頭などに比べるとやはり1ターン内の動作が多い。全体の形態はフォークダンスのようで、二重の円になって向かい合った相手と踊る。ハイタッチや指差しの動作があり、一人ひとりが黙々と踊るのではなく、ペアダンス。盆踊りリーダーたちの勧誘も手伝って、最終的には櫓を囲む四重の円ができていた。

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 近藤氏と大山プロジェクトは、曲のメロディや歌詞に合わせて振り付けがされている印象。佃島念仏踊りは太鼓と謡というシンプルな音だけだったが、にゅ~盆踊りと比べると、音との関係の取り方が違うようだ。佃島の方は、音と動きが単純な一致をしているわけではないし、完全に切り離されているわけでもない。踊り手の動きによって集団のリズムというか流れができていて、それが謡への合いの手の箇所などで音と一致したり、それ以外の部分では離れたりしていた。そういえば、にゅ~盆踊りには合いの手のようなものはなかった。近藤氏の踊りで一箇所「シャーッ」というところがあるが、合いの手というより動きと一致した振り付けの一つ。

 参加者は踊っている内に、徐々にぎこちなさが抜けていった。はじめは手足だけで踊ろうとしていたが、少しずつ身体全体でノリを掴むのが早くなっていくようだった。ダンス経験者らしき人達は、ある程度踊りのノリを掴むと、どんどん自分なりに格好良く綺麗に踊るようになっていった。

 参加者たちは笑顔で楽しそうに踊っていて、踊りに慣れるに従って、どんどん「個人」が浮き立ってきた。踊っている全体が一つと塊になっているというより、一生懸命踊る個人たちが集まっているように見えた。明るい時間帯のせいもあるが、佃島念仏踊りで個人が埋没していくのと間逆だ。或いは、映像で見たのみだが、秋田の西馬音内盆踊りのように顔を隠した踊り手たち自身が亡者になる、のとは間逆だ。そもそも、櫓を見上げるのは振りを覚える為だし、近藤氏の振り付けに顕著なように、この場にいる参加者同士でコミュニケートし合う為の踊りで、それはこのイベントの企画意図とあっているのかもしれないが、供養や死者など、具体的にこの場ではない方向へのベクトルがないのだ。振りを覚えてうまく踊る、思い切り身体を動かす、楽しく参加者同士でコミュニケートする、全体がこれらに向かっていくように見える。

 私が演劇やダンスのパフォーマンスに魅力を感じるのは、身体や全体の構成が何かの仲介になっていて、それらの先に何かが感じられる、接続先があるときだ。民俗芸能や能などを見ながら、仮面や型、空間構成、方向性などが、それに有効なんじゃないかと思っている。にゅ~盆踊りに関しては(企画の意図や参加者の動機と私の期待がずれているのは承知の上で)、接続される先がない、この場のみの発散型に見えた。

 発散する、ガス抜きすることは、日常生活の中で必要なものだろうし、祭りにもその場を提供する一つ役割があるだろう。が、踊りたい楽しみたいという純粋な動機が、公に用意された場に積極的に嵌っていって、あれほど盛り上がることに若干の不安と怖さも感じた。