民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

鮫洲八幡神社夜中神輿 萩原


鮫洲八幡神社の深夜神輿 - YouTube

 

調査日:2014年8月16日

調査者:萩原雄太

 

 豪快に太鼓が打たれ、笛の音があたりに響く。「わっしょい、わっしょい」という威勢のいい男たちの掛け声で神輿渡御がはじまる。法被を着た男たちは汗を滴らせながら、肩に食い込む神輿の重さに歯を食いしばる。一見、日本の多くの場所で行われる祭りだ。ただし、現在時刻は深夜3時……。

 

「最近引っ越したんですけど、うちの近所、夜中にお神輿をやるからうるさくて寝られないんですよ」

 うちの劇団の宣伝美術をしてくれているデザイナーの藤井くんがため息混じりに語る。夜中に神輿って、意味わからないんだけど……。

「今度、お祭りやりますから来ます?」

 と、いうわけで京急線に乗車し、鮫洲へ向かったのは8月15日夜の11時。藤井くんは翌朝からクリケットの試合でイラン人と戦うということで早々に寝入ってしまった。イラン人と戦うなら仕方ない。深夜2時まで藤井くんの家に留まり、鮫洲八幡神社へ向かった。

 鮫洲八幡神社例大祭は、8月14日近くの金土日の3日間行われており、神輿が出るのは土曜日の午前3時から7時まで。日曜日の午後3時から6時にも担がれるが、深夜の神輿を見ない手はない。6本の横棒を担ぎ、笛と大拍子にあわせて渡御を行う。

参考
http://www.samezumaturi.com/

 

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 深夜2時、神社の境内に赴く道すがら、ポツポツと法被姿の男達が見える。どうやら、本当にこの時間から祭りが行われるようだ。深夜の境内には神輿が設えられ、すでに30人くらいの人びとが集い、祭りの始まるのを待っている。すると、2時15分。ドンドコドンドコ、ピーヒャラピーヒャラと、太鼓と笛が始まった。深夜だということはお構いなしに、フルボリュームで打ち鳴らし、吹き鳴らす。マジか……。躊躇の欠片も感じられない。2時30分、演奏が止み、氏子総代と神主が本殿の中に入り「みたま移し」の儀式が始まる。祝詞奏上を行っているようだが、下々の者は境内で待っている。

 すると、トラメガによってアナウンス。「これから、みたま入れの儀式を行います。いかなる形でも写真撮影は禁止です」境内の街灯が全て消された。いったい、何が始まるのか……固唾を飲んで見守っていると、神主がなんと白い布に包まれて登場する。いったい何をしているのか、と思いきや、神主の腕の中には神様(的な物体)がおり、それを隠すために白い布でくるまれているようだ。そして、神主が神輿の前に歩くと、白い布が広げられ、みたまが移される。白い布が目隠しになって、何が入っているのかは全くわからない。隠されているからか、少しだけ神聖な気持ちになる。世阿弥の「秘するが花」じゃないけど、何が入っているかはわからない、けども確かに入っているというのはいい。

 そして、再びの祝詞奏上、さらに氏子総代の礼のあとは、いよいよ神輿渡御の開始。「それではお願いします」という氏子総代からの挨拶の後に、一斉にみこしを担ぎ、「わっしょい! わっしょい!」「ドンドコドンドコ」「ピーヒャラピーヒャラ」丑三つ時の境内がにわかに騒がしくなる。鳥居を出て、旧東海道に出たところで、一端神輿を下し、担ぎ棒を取り付ける。

 

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 だが、いったい、なんでこんな時間にわざわざ神輿を行うのだろうか? それには、鮫洲の歴史が関わってくる。

 地名の通り、鮫洲は海に近く、元々漁師町として栄えていた。漁師たちが船で沖へと繰り出すのは早朝。夜中に神輿を担ぎ、かつてはそのまま漁に出ていたからという説が有力だ。漁が終わってからでもいいじゃないかとも思うが、民俗学のKUNIOこと柳田国男はこう語っている。

「我々日本人の昔の一日が、今日の午後6時ごろ、いわゆる夕日のくだちからはじまっていたことはもう多くの学者が説いている(中略)我々の祭りの日もその日の境、すなわち今なら前日という日の夕御饌から始めて、次の朝御饌をもって完成したのであった」(『日本の祭り』角川ソフィア文庫

 だけど、時代は代わり、漁に出る人間はいなくなった。消防団の人によれば、近隣住民からは毎年クレームも出ているという。嗚呼、無粋な現代人め! と嘆くなかれ。これは、確かにうるさい。いくら僕でも、近所でこれをやられたらさすがにちょっと……と言いたくもなってくる。ドンドンピーヒャラわっしょいわっしょいに加えて、100人以上が、負けじと大声で喋っているのだ。きっと寝られたもんじゃないはず……。僕は、伝統と現代人の間で悶々としていた。

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 神輿は、神社を出ると旧東海道を南方面へ進んでいく。1キロメートルほどかの距離を1時間かけて移動し、折り返しすと今度は今度は北方面に進んでいく。神社の南方面に済む藤井くんの家の前ならほぼ2時間の時間差で2回通るわけだ。深夜に太鼓の音で目覚めて、やっと通りすぎてようやく眠りにつけたと思ったらまた来る……これは過酷なんじゃないだろうか。

 ワッショイワッショイの掛け声で神輿は進んでいくのだけど、興味深いことに、これがちゃんとまっすぐに進まない。前に行ったり、横に行ったり、後ろに行ったり上下に揉まれたり。規則性があるわけではなく、指揮者のような人も居ないので、その場のノリで動いているようだ。ただでさえうるさいんだから、さっさと歩けばいいじゃないかと思うが、どうもそうは行かないようだ。

 小刻みにジャンプをしようとする人がいたり、横に行こうとする人が居たり、止まらせようとする人がいたりと、複数のベクトルの力が一つの神輿を支えている。その結果、ある種の集団の意志のような形で神輿が移動をする。この神輿は「共同体」をとてもよく現しているんじゃないかと思った(うるさいけど)。

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 4時半を回ると、しらじらと夜が明け、だんだんと写真が取りやすくなる。すると、ポツポツと「仕事だから」と、帰り始める人も。仕事があるのに神輿を担いでいたのか。ちょっとびっくりする。そこまでして神輿を担ぎたい衝動が僕にはよくわからない。

 夜が明けてわかったんだけど、ヤンキーがやたらと多い。「地元」感が非常に強く、あたかも地方都市に来たかのような気持ちになる。そして、ヤンキーたちが輝いている。ヤンキーコンプレックスを持っている身としては、あまりいい気分はしない。なぜ、ヤンキーたちは祭りになると活発になるのだろうか? 地元意識か、それとも気合というやつなのだろうか。

 僕は、神輿が苦手だ。あの、気合と男らしさの結晶=マッチョイズムみたいな感じにいまいち乗ることができない。「やっぱ男なら神輿でしょ」「俺らの地元」「日本人の血が滾る」みたいなのがどうもダメなのだ。だってファンタジーじゃん、そんなの。急にジャイアン(映画版ではない)みたいな祭りに見えてくる。がさつ、粗野、デリカシーが無い、うるさい、けどロマンチスト……etc。祭りとヤンキーに関してはしばし考える必要がある。

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 町内をぐるっとまわり、神輿は本日のゴール地点である御旅所にたどり着く。翌日の午後3時から、神輿はここを出発して、神社に戻る。