民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

鳥屋の獅子舞 萩原


鳥屋の獅子舞 神奈川県無形民俗文化財 - YouTube

名称:鳥屋の獅子舞

日時:8月9日 相模原市緑区鳥谷地区 諏訪神社

調査者:萩原雄太

 

 お盆は民俗芸能の書き入れ時だ。日本中そこここで芸能をやっている。しかし、その1週前となれば、祭りをやっているところは少ない。僕は、3月まで毎週何かしらの民俗芸能を見る(ただし、1週に2回見た場合、キャリーオーバーは可能)というノルマを自分に課している。

 

 うーん、どうしたものかとネットで検索していたら、「鳥屋の獅子舞」にたどり着いた。でもテンション上がらないな、手塚さんとか若林さんが前に行っていたもんな……(後に若林さんは行っていないことが判明)、いまいち決め手にかける。だが、相模原市役所に電話した所、お姉さんの対応が非常にいい。ちょっとゆるっと、舌足らずの声で、鳥屋の獅子舞について案内してくれる。こういう声を作る女の子に男性は弱い。僕の頭のなかには、上司と軽口を交わしながら、あまり熱心でない文化財保護課に務める彼女の姿がありありと浮かんだ。「とてもいいお祭りですよぉ」決めた、行こうじゃないか、相模原。

 だが、相模原をなめてはいけない。合併によって、面積は拡大し、小田急線の通る都市部から、もはや「原」などどこにもない山梨との県境の山奥まで相模原市なのだ。橋本からバスに乗って一時間。どんどん山道に入って行くので、恐怖心が芽生えてくる。折しもこの日は雨降り。心細さが募る。

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 山を越え、川を超えしたところで、山車に遭遇する。ようやく鳥屋地区についた。慌ててバスを降りてカメラを回す。山奥の集落とは信じられないくらいの盛り上がり。けど、どうやら、これは祭りの「道行(パレードみたいなもの)」の準備のための移動なので、そんなに急ぐことはなかった。

 話を聞くところによると、神社の1kmぐらい下から獅子舞を先頭にした道行がはじまるということで、そのスタート地点に向かう。先ほど山車を引いていた人びとは木陰に雨宿りをしながら小休止。雨宿りって、そういえばしばらくしていないような気がする。都市に住んでいると、雨の強弱を感じることは少ない。「アマヤドリ」という劇団があるのを思い出す(僕はまだ見たことがない)。

 県道を逸れて、獅子舞の出発地点である鈴木家まで行く。道すがら、この祭りが多分本当に良い祭りだということが判る。だって、獅子舞が通る道の両脇の民家では、すでに住民が出てきて、今か今かと獅子舞が通るのを待っている。しかも超楽しみにしている。こういう祭りは珍しい。

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 ポヤポヤしていたので、ここで行われている神事は見れず。僕がついたところで、ちょうど「じゃあ、行きますか」と道行スタート。随行の笛と、獅子の持つ太鼓が鳴らされる。が、そのまま歩き出すのかと思ったら、しばらくするとやめて、普通に歩き出す。途中途中で人が多いところで囃子を鳴らしていく。どうやら、省エネっぽい。獅子舞たちは氏子総代の傘の下に入りながら歩く。雨がひどく、僕のバッグはずぶ濡れだ。パソコンが心配になる。

 メインは獅子舞を見に来たわけだが、この祭り、山車の周りでやたらとひょっとこが踊っている。さらに、山車の上にもひょっとこ。年端もいかない子どもから中年まで1つの町内で10人以上はいるんじゃないか。そして、そのひょっとこの踊りが素晴らしい。止めるところは止めつつ、ニュアンスを多分に含んで、音のとり方もちょっと適当になったりビシッと決めたり。身体のノリがとてもいい。身体が見えてくると、こちらの身体にまで伝播してくる。グルーヴィー!! 山車の上では、2畳くらいのスペースに太鼓とひょっとこ合わせて10人くらいがギュウギュウ詰めになっている。「ひょっとこ乱舞」という言葉が思い浮かぶ。劇団アマヤドリの旧名である。

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 「道行」は獅子舞を先頭に、塩をまく人びと、まといを持っている人(主に子どもたち)、子供みこし、大人神輿、それと山車で進む。まとい、子供みこし、山車は3地区分あったはず。通るのに1時間と聞いたけど、さすがにそこまではかからないはず。ところで、アマカメラマンだけでなく、普通の住民もいいカメラを持っている。ニコンやキャノンはこういう祭りにスポンサードした方がいいんじゃないかしら。

 道行は諏訪神社にたどり着く。それぞれの山車から音がひしめき合ってカオス。しかも、他の地区の山車と一緒になると、負けん気が働くのか激しさがます。ここで、獅子舞が行われる。

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 獅子舞の前に特筆すべきものを。

 上鳥屋地区の山車で獅子舞(これは普通の獅子舞)とともに踊っていた狐が素晴らしくよかった! 髪を振り乱しながら、踊っているさまは、Abe”M”ariaを思い出す。かっこよすぎ! 気づくのが遅くてあまり見れなかったんだけど、ふと目を話した一瞬の隙に消えてしまった。夢なんじゃないかと思う。これは、首長囃子と呼ばれるもので、青梅から80年くらい前に伝わってきたものという。「昔このあたりで金が取れて、青梅からやってきた首の曲がった長さんという人がこのへんの人に教えていったんだよ。だからこの辺りでは、首長囃子をやっているけど、各地区で微妙に違う。うちの囃子が一番」と上鳥屋の人。確かに、ひょっとこもここのが一番だった。首長囃子、気になる。

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 獅子舞だ。

 17世紀に円海法印が、催事芸能のないのを寂しく思い、武州地方で行われてた獅子舞を模倣してこの行事を起こした。円海は、自ら獅子頭を彫刻した(現在のは昭和に新しく作りなおした2代目)。彼は、旅の修験者であったという説と、鳥屋地区の生まれで八王子で修行をしたという2つの説がある。一人立ちの三匹獅子舞で、父獅子と子獅子は太鼓を持ち、母獅子はササラを持っている。明治末期に一時期途絶えたことがあり、獅子頭を置くだけで舞楽も行わないこともあったが、昭和3年に再興している。

 神社内の、最近できたと思われる舞戸に、3匹と、ささら役の3人の子どもたちが登る。後ろには、笛と謡の氏子たち20人ばかり。まず、獅子の3人の紹介。全員男子高校生で、母獅子役は今年はじめてだそう。いたいけな男子高校生が、こういうことをしているのか。高校生の夏休み、恋とかはしなくていいんだろうか? デートの代わりに集落の爺さんと、獅子舞の稽古か……と不憫に思う(が、僕も高校生の頃にデートなんてしたことはない)。みんな童貞だろう。童貞にとって夏はつらい季節だ。

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 スローテンポで、基本的に同じ振付の繰り返しを30分ほど踊る。ストーリーのようなものはなく淡々と進んでいく。太鼓を叩きながら、頭を振り乱しながら、腰を落としながらの演舞は男子高校生といえども大変そう。途中、バテていくのがわかる。舞の後ろでは歌が歌われる。何を行っているか聞き取れないが、もらった冊子を確認した所、「総じて三頭獅子舞の歌詞は、村・家・杜・厩・持ち山・結婚・雨乞いを大正とする祝福と祈祷を意味する」ということ。

 辛いのはわかるんだけど、ひょっとこ、狐の素晴らしい踊りを見た後に、獅子舞を見ると、ちょっと魅力に欠けるというのが正直な所。腰を落として、足を踏んでいるんだけど、どうも重さがない。下半身が固くて、膝で力が止まっているように見えるのだ。踊りの身体の使い方というより、運動部的なそれになってしまう。前述の冊子では、舞い手の不足が嘆かれていたけど、嘆きべくは根本的な身体の変化なのかもしれない。重い踏み方というものが、身体の教養としてないのではないかしら。同じ三匹獅子舞との比較で言えば「水止舞」の方が、より踏めているような気がするけど、あちらには頭を振るという動作はなかった。こちらでは、上半身をぐわんぐわんと振っていくので、その分の重さが必要になる。その重さが足の裏まで伝われば、もっと魅力的な踊りになるはずなんだけどなあ。

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 踊りの終了後、獅子の背中についていたふさをくれるというので、もらう。縁起物らしいけど、どういう縁起なのかよくわからない。けどもらう。(魔除けの意味があるらしい)

 帰り道、地図を見ながら、丹沢ー青梅ー秩父のネットワークについて考える。