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民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

お馬流し神事 はぎわら


本牧神社・お馬流し神事 神奈川県無形民俗文化財 - YouTube

名称:お馬流し神事
場所:神奈川県横浜市 本牧神社〜本牧漁港
調査日:2014年8月3日
調査者:萩原雄太

 

 横浜・本牧といえば、子供の頃に見た『警察24時』で放映される暴走族たちの姿が目に焼き付いている。だが、演劇やダンスの公演で何度も横浜に通っているのに、僕は、「本牧」という場所が横浜の一体どこにあるのかもよくわからない。なので、本牧神社に赴く道中、インターネットで検索した所、「本牧神社横領事件」や「ゆずの北川悠仁の母親による買収計画!?」などの醜聞が出てくる。いや、話半分で聞くわけなんですが、いったい、この神社は何なんだろうか……。

 JR根岸駅からバスでおよそ10分。本牧神社では、今年449回目となる「お馬送り神事」が行われていた。朝6時に起き、這うようにして横浜へ。フリーライターで糊塗をしのいでいる身なので、いつもはたいてい昼まで眠っている。しかも、寝起きが非常に悪い。なのに、民俗芸能ならなんとか早起きできるのだ。自分でもこの情熱がどこから来るのかよくわからない。

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 「お馬流し」神事は、本牧神社の境内から始まる。
 
 「お馬」とは、茅でつくられた人形のこと。顔部分は馬だが、身体部分は縁起のいい亀を模している。このお馬が集落をめぐり、数々の罪や穢れを一身に背負い、沖合に沈められる。これによって、本牧地区の穢れが清められるという儀式なのだ。1566年より続き、今回がなんと449回目だという。

 「お馬」は、本牧の旧家である「羽鳥家」当主によって1週間かけてつくられる。お馬送りの前日、8月2日には「お馬迎え式」という儀式があり、羽鳥家から神社にお馬が収められる。本殿で1夜を過ごしたお馬は、8月3日、朝8時より氏子総代が集合して祈祷が行われ、その後本牧漁港まで運ばれていく。ただし、「横浜の奇祭」と言われるこの神事。当然、ただで運ばれるわけではない。祈祷が終わると、バケツリレーのように、数十人の氏子総代たちが一列に並びその頭の上でお馬が受け流されていくのだ。お馬の数は、昔の村の数に合わせて6個。これらが、一度として目線の下に降ろされることなく、ゆっくりと頭上を運ばれていく。お馬の横には笹の枝(忌竹というらしい)を持った少年2人が付き添うほか、「シャランってなる僧侶がよく持っている金属の杖(名前がわからない)」を持った少年2人が先頭のお馬の横についていく。

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 境内を抜け、鳥居をくぐったお馬は、船を模して舳先をつけられたトラックの屋根に設置される。まるで、デコトラのLEDライトのように、船を模して舳先を付けたトラックの上に鎮座するお馬。トラックの荷台には、獅子舞や笛太鼓のお囃子が鳴らされている。6体が結集すると、パトカーの先導によってトラックが出発。12の町内を巡り今年1年で溜まった穢れを集める。

 そして、お馬を見送ったギャラリーは、貸し切りのバスに詰め込まれて本牧漁港へと先回り。町内を巡ったお馬を出迎える。

 そして、30分ほど待って、お馬がやってくると、ここでもまた頭上バケツリレーが行われる。お馬を受け取ると、左足から前に出し、両足をしっかりと揃えてから次に受け渡すという決まりがあるらしいが、詳細は聞き逃す。ただし、特に、厳密な雰囲気もなく、ゆる~くのどかに運ばれていくし、氏子たちも私語をしゃべりまくっている。

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 そして、のどかに運ばれていたお馬が一変するのは、お馬が乗り込む神船の15メートルほど前からだ。「せめ」と呼ばれ、それまでゆったりと運ばれていたお馬は、駆け足で運ばれることになるという。かつては、ここから競争という意味合いがあったのだそうだが、並んでいるのはどう見てもおじいちゃんばかり。てっきり、勇壮な若者たちがいっさんに駆け出していくのかと期待していたのだが、はたしてこのおじいちゃんたちが全力疾走できるのだろうか……。固唾を呑んで見守っていると、ちょこちょことした小走りが始まる。ああ、ゆるい。

 和船に乗せられたお馬は、沖合へと運ばれていく。掛け声を合わせて櫂を漕ぐ男たち。しかし、それも港の中だけで、港から外にでるとエンジンが起動するらしい。事前申し込みをしていれば、ここから別の船に乗り込んで、お馬を流すところまで同行できるそうだが、残念ながら僕は申し込みをしていなかったのでここまで。港で振舞っていた穴子丼を食べて帰る。満面の笑みで船に乗り込んでいった武田さんのレポートを待ちたい。

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 本牧神社が現在の場所に作られたのは比較的最近のことだ。以前は海のすぐ近くに位置していたが、米軍に接収されたことで、現在の場所へと移転を余儀なくされる。また、昭和30年代に埋め立てが進んだことから、海岸線は遠くなる一方。現在では、徒歩では移動が難しい距離になってしまったが、かつては本牧神社のすぐ下が海という時代があったという。

 現在では「港町ヨコハマ」のイメージが強いが、明治以前は何の変哲もない漁村であり、本牧地区の人々は漁によって生計を立てていた。明治維新による近代化や、米軍の接収など、本牧神社を取り巻く環境はこの150年間にめまぐるしく変化を遂げた。けれども、トラックにわざわざ舳先をつけて船を模してまで(つまり、偽装をしてまで)、お馬流し神事は伝承され続けている。歴史は、近代から現代への変遷といとも簡単に記述するけど、お馬流し神事は、中世、あるいは近世のまま現代に到達してしまっているし、それは多くの民俗芸能でも同様だ。芸能を見ることは、現代の中で近代以前を思考することの愉楽があるから、情熱を持って見続けているんじゃないか、と、穴子丼を食べながら考えた。