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民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

鷲宮催馬楽神楽 はぎわら


鷲宮催馬楽神楽 国指定重要無形民俗文化財 - YouTube

名称:鷲宮催馬楽神楽
調査日:7月31日
場所:埼玉県久喜市 鷲宮神社
調査者:萩原雄太

 

 埼玉県久喜市にある鷲宮神社は聖地として知られている。もちろん、神社なのだから、周辺地域に住む人々の信仰を集めているわけだが、それだけが聖地たるゆえんではない。アニメ「らき☆すた」のモデルとなった土地であることから、アニメファンが大量に押し寄せているのだ。主要キャラである柊つかさ、かがみの姉妹は「鷹宮神社」宮司の娘という設定であり、この鷹宮神社は鷲宮神社をモデルにしてつくられている。よって「3次元の鷹宮神社」を一目見ようと、アニメファンが集結。境内にある無数の絵馬には「らき☆すた」のみならず、「機動戦士ガンダム」や「のんのんびより」のキャラクターまで描かれているのだ。ちなみに、僕はアニメについてはさっぱりわからない(が、「らき☆すた」の主題歌『もってけ!セーラーふく』は名曲!)。


らきすたOP「もってけ!セーラーふく」(歌詞字幕つき) - YouTube

 この神社で舞われているのが重要無形民俗文化財指定「鷲宮催馬楽神楽」。年間6回舞われるうちの、夏越祭での上演に立ち会った。

 清澄白河から1時間20分。東武スカイツリーライン鷲宮駅」から徒歩10分のところに鷲宮神社はある。寝坊して開始時刻を少し過ぎつつ境内にたどり着くと、早速笛と太鼓の音が鳴り響いてくる。平日だというのに、本殿の真向かいに位置する神楽殿付近には数十人のギャラリーが集っていた。

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 催馬楽神楽には基本の12座とその他の3座、合わせて15座の演目があるが、大晦日から年越しの祭礼を除き、その全てを上演することはしない。この中から数座が選ばれて舞われるのだ。この日は、以下の6座が上演された。

・天照国照太祝詞神詠之段(あまてるくにてるふとのりとしんえいのまい)
・天心一貫本末神楽歌催馬楽之段 (てんしんいっかんもとすえかぐらうたさいばらのまい)
・八洲起源浮橋事之段 (やしまきげんうきはしわざのまい)

(お昼休憩)

・浦安四方之国固之段 (うらやすよものくにかためのまい)
・磐戸照開諸神大喜之段 (いわとしょうかいしょじんだいきのまい)
・祓除清浄杓大麻之段 (ばつじょうしょうじょうおおぬさのまい)
※後半は演目の合間に「端神楽(はかぐら)」と呼ばれる女児によるささやかな神楽が上演される。

 催馬楽神楽の特徴としては、舞台正面に御幣によってつくられた神棚が設置されており、演目の最初と最後には必ずこの神棚に一礼する。解説によれば、これは、他の神楽には類を見ないことだという。また、平安時代に流行した「催馬楽」という歌が演目の中に取り入れられていることも大きな特徴をなす。これによって、この神楽は昭和51年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。

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 解説者は、「関東神楽の源流」であり、「重要無形文化財」に登録され、「天皇が見学に訪れた」この神楽に対して、たいへん強いほこりを抱いているようだった。しかし、僕には大きな欠陥があるような気がしてならない。……あんまり上手じゃないのだ。

 他の民俗芸能とは異なり、30〜40代と思われる比較的若い人々が舞手や叩き手を務めていたのだが、4人の舞い手のうち3人が、足がふらふらしていたり、軸がしっかりとれていなかったりと、体の重さと軽やかに舞っているような状態との融合が果たされていない(多分、そういう状態を目指しているはず)。神楽は本来的に神様に向けて捧げられるものだから、人間がどう思おうと知ったことではないのだけれども、どうも神に捧げられている感じがしないのだ。どっちかというと、舞ではなく「体操」に近いような……。中でも最もがっくりと来たのが、催馬楽の歌い手。か細く、あまり魅力的ではない声は、聖性や異世界への通路を切り開くことなく、「現代演劇の俳優がちょっと伝統的な声を出してみました」程度に聞こえてしまう……。歩くことが、舞うことが、発声することが、その行為以上の効果をもたらしていない。

 舞の形としては正当なものを保存しているのだろうけど、はたしてこれが本当に「催馬楽神楽」でいいのだろうか……と疑問を抱かざるをえなかった。

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 神楽の終了後、人形流しの儀式があったのだが、そちらに帯同するのは遠慮して(朝が早く、とても疲れていたのだ)近くの郷土資料館に行く。その道すがら、街の電柱に、カスリーン台風時に起こった洪水の高さを 表すテープが貼られていることに気づく。ただ漫然と電車に揺られてきたから、「久喜」というのがどこだか曖昧だったのだけど、地図で調べたら、埼玉でもかなりの県北に位置している。利根川がすぐ近くにあり、同行した埼玉県北部出身の清水によれば、この辺りでは度々洪水被害に苛まれたために小舟を常備している家も少なくないそうだ。

 

 郷土資料館は、図書館に併設された施設だけど、重要無形文化財の効果なのか、かなり豪華な施設。鷲宮の歴史や催馬楽神楽だけでなく、全国各地の神楽の紹介などがなされている。

 ここで、妄言を少し。

 もしかしたら「水害」と「祭り」は何らかの関係があるのではないか。洪水が一度街を襲えば、街は甚大な被害を受け、稲が水に漬かってしまえば収穫もままならなくなる。それが、数年単位で度々襲ってくるのだから、かつての人々にとってはたまったものではないだろう。けれども、人々は高台に住むことはしなかった。それは、低い土地に住まなければ、田んぼに水を送れないという実際的な理由もあるだろうが、その高台に、人々は神社を設置する。人は洪水を避けることではなく、洪水が起こらないように祈った。

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 江戸時代、治水工事がはじまる前、鷲宮周辺の利根川は現在のようなきれいな直線ではなく、うねうねと蛇行するような川筋だった。中世から細々と続いてきた催馬楽神楽が再興したのも、ちょうど江戸時代。土木工事によって川筋を変える努力と、神楽によって神に祈る行為とが同居していた。

 少し興味深い話がある。鷲宮の隣の栗橋町に伝わっている牛頭天王社の獅子舞についての話だ。平成19年発行の「栗橋町史」によれば、慶長年間(16世紀後半〜17世紀前半)の洪水で、神輿が流れてきた。これを「神霊の然らしむる所ならんとて」祭礼を行う風習が始まる。洪水が、祭りをもたらしたのだ。

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 閑話休題

 「郷土資料館の職員なんて左遷人事で仕方なくいるやつだろう」と、僕は舐めきっていたわけだけど、少なくともここの職員は違い、とても熱心に勉強しているようだ。話す中で、鷲宮の中学校に「郷土芸能部」という部活があり、ここが伝承にとって重要な位置を占めていること(ただし、大人になって保存会のメンバーになるような人材は数年に一度現れるくらいらしい)、催馬楽神楽がはじめて歴史に登場するのは鎌倉時代につくられた『吾妻鏡』だが、江戸時代に再興されるまではほとんど別の芸能だったこと、江戸時代、吉田神道とのつながりで京都とのコネクションがあったことなどを職員から聞く。言われてみると、確かに、農村の無骨な芸能という感じではなくどこか品や権威を感じさせる芸能だ。