民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

甘酒こぼし 萩原


甘酒祭り(甘酒こぼし) 埼玉県無形民俗文化財 - YouTube

名称:甘酒祭り(甘酒こぼし)<埼玉県秩父市
調査日:7月27日 13時〜
調査者:萩原雄太

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 「かめはめ波!!」「ハドーケン!」と、プールに入ると、子どもたちは必ずと言っていいほど水を掛け合う。「やめてよー」と嬌声をあげながら、童心に帰ったカップルたちもまた、バシャバシャと水を掛けじゃれあっている。けれども、埼玉県秩父市猪鼻地区では、男たちが、神社で甘酒を掛け合う。秩父鉄道の終点三峰口駅から徒歩20分、荒川がつくりだした渓谷の縁にある熊野神社では7月の第4日曜日に毎年「甘酒祭」を開催している。日本広しといえども、男たちがキャッキャウフフとふんどし姿で甘酒を掛け合う祭りは例に無く、「奇祭」として知られているお祭りだ。

 11時過ぎに神社に着くと、大勢のアマチュアカメラマンに見つめられながら、これから甘酒を掛け合う猛者たちが、神社内にある集会所で直会をしている。弁当を食べながら保存会の会長や宮司たちの挨拶に聞き入る男たち。しかし、その手に握られたのは甘酒ではなくアサヒスーパードライだった。

 と、それはさておき、この祭りの起源は大和武尊の時代にまで遡る。言い伝えによれば、大和武尊が東征を行った際、三峰山で大猪に遭遇するもこれを撃退。だが、これを捕まえて見たところ、イノシシではなく住民を困らせていた山賊だった。喜んだ住民たちは、大和武尊に酒を進呈し、矢を奉納してもらう。そして、736年、疫病が発生したことでにごり酒から甘酒に酒類を変更。裸で掛けあって疫病を流すことになった。書いてても、正直よく意味がわからないが、そういう理由だというのだから受け入れるしかない。長老格である保存会の会長も「私もなんでこんなことをしているのかよくわからない」と語っていた。

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 12時ごろになると、男たちはおもむろにふんどし姿に着替えだす。カメラマンたちは、直会を行っていた集会所に陣取り、一斉にシャッターを切っていく。だが、30人あまりの男たちのための更衣室などもなく、カメラの前で着替える男たち。ゲイなのか? 実際、ゲイが好きそうないわゆるガチムチ体型の男たちばかりだ。なぜ、こんな山奥の限界集落に、こんな多数のガチムチが……。

 僕は妻帯者であり、残念ながらゲイではないので、しばし境内を逍遥。大樽には甘酒が作られており、すでに甘酒の振る舞いが行われている。麦と米麹によってつくられた甘酒は、祭り前日から寝ずの番で作られたもの。正月の神社でよく見るような「甘酒」ではなく、黄色く、味も酸っぱいものでお世辞にも美味しいとは言えない。香りを嗅いでいると、吐瀉物のような香りに少し気持ち悪くなってくる。ただし、会長は「今年の甘酒はとても美味しくできた」と語っていた。もちろん、その「美味しい」甘酒を賞味することはない。突如、折り重なった山を、雷の轟音が貫いた。

 甘酒を飲みながら住民に話を聞いた所、多数のガチムチの正体が判明した。

 かつては70軒以上の家が存在していたものの、今ではこの集落には39軒の家しかなく、高齢化も進んでいる。そのため、以前は村人によって行われていたこの祭りも、現在では地元住民の参加者は1割程度。残りは、甘酒祭りのために全国各地から応募してきた人々だという。埼玉や東京ばかりでなく、はるばる九州からこの祭りに参加する人もいるそうだ。そう、ガチムチたちはその体型に相応しい外人部隊だったのだ。「3000円奉納いただければ参加できます」と言われたものの、こちらは178cm、58kg、色白のひょろひょろ青瓢箪なので外人部隊としては役不足

 そして、ふんどし、草履に履き替えた男たちは、神社の境内に降り立つ。夏の鋭い日差しを、男たちの健康的な肌は跳ね返していく。

 「由来について詳しいことはわからない」と話していた保存会長は、男たちを前に再度挨拶を行った。「今では『甘酒祭り』なんて言われているけど、われわれは『甘酒こぼし』と言っています。『祭り』なんていう高級なものじゃない」と自虐的に笑いながらも、そこで語られたあるエピソードは胸に残る。「昭和22年、食糧難だったため、甘酒祭りをやめた年があった。しかし、その年に疫病が流行してしまった。それ以来、ずっと欠かさずにやっているんです」

 しめ縄を張り巡らせ、神木によって四角い聖域が作られている。その中央には甘酒をたっぷり150リットルは入れたであろう樽。それを囲みながら、男たちは神妙に長老の話を聞く。このようなエピソードを語られてしまったら、否が応でも祭りを盛り上げなければならない。「桶を投げないように」という注意事項が語られ、13時になった。今度は雷ではなく、花火の爆音が轟き、祭りは始まった。

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 まず、執り行われるのは天狗の行列だ。

 先頭に剣を持った天狗が登場し、道を清めていく。ふらふらしているのは演技なのか本気なのか定かではない。その後ろを、静々と歩く宮司たち。もともとは、集落の各戸を回る神輿が行われていたのだが、現在では、人口の減少や国道の交通量増加によってこのような形に簡略化された。宮司による祝詞が終わり、天狗たちが退場すると、いよいよ、甘酒の掛け合いが始まる。

 「では、はじめてください」男たちは、貯水プールの縁に置かれた桶を取りに行く。この水を樽の中に入れつつ、樽の中の甘酒を掛け合うのだ。入れたいのか出したいのかよくわからない。バシャっと勢い良く黄色い水飛沫が上がり、甘酒の酸っぱい臭いがあたりに充満する。男たちは、全力で桶を振り回し、一心不乱に水を掛け合う。まるで自由時間を与えられた小学校のプールの時間であるかのようなはしゃぎっぷり。放物線を描いて黄色い水は男たちの肌を濡らしていく。三島由紀夫ならきっと男たちの筋肉について語るだろうし、中上健次なら滾る血について語るだろう。「終わっちゃうぞ〜!」と樽のそばにいる男が、貯水プールから水を運んでくることを促す。だが、その当の本人が桶からじゃぶじゃぶと水を浴びせかけるのだから、マッチポンプとはこのことである。

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 およそ30分あまり、崖の上に作られた神社からは水と甘酒が川になって流れだしていく。およそ30分あまり、行事役の男性の拍子木によって、甘酒こぼしは終了した……はずなのに、終わらない。男たちは桶を倒し転がし始めた。右往左往しながら、「こっちじゃねえぞ!」「あっちだ!」と、投げかけられる叫び声、樽をめがけてプールの水が容赦なく浴びせかけられる。まるで神輿のように境内をグルグルと巡っていく樽は、ようやくプールの中に沈められて動きを止めた。すると、桶とともに、今度はプールに入りバシャバシャと水を掛け合う男たち。もはや、これでは大義も何もないただの水遊び。どちらかと言うと、甘酒を掛けあっていた時よりも、桶を倒してからの方が盛り上がっていたような気がする。

 しばらくの水遊びの後、三本締めで終了すると、男たちがぞろぞろとプールから出てきて神社本殿で最後のお祓いを行う。さらに、お祓いの終了後に待っているのは、神社の入り口にある巨大な旗の撤去だ。5mはあろうかという支柱を横倒しにして、旗を回収する様は、それだけで一つの儀式のようにも見えてくる。

「桶を転がすのは、力が余って仕方ない者が勝手に始めてしまった近年の慣例。以前は、片付けは村人がやっていたんだけど、高齢化になってそれも難しくなってしまった。そこで、祭り参加者の手を借りて、桶を洗ってしまうことから、旗の撤去まで手伝ってもらうようになったんです」(会長)

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 祭りは、時代に合わせて少しずつ変化していく。特に、「甘酒こぼし」では、その変化が顕著なようだ。無事に旗を撤去すると、参加者は三々五々家路についていく。開始から片付けまでわずか1時間にも満たない甘酒こぼしの儀式。150Lの黄色い甘酒は、沢の水に混ざりながら、渓谷の下を流れる荒川に勢いよく滑り落ちていった。