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民俗芸能調査クラブ2014

民俗芸能調査クラブは、ダンサー、演出家、俳優、音楽家などのアーティストが、民俗芸能をリサーチし、自身の活動に結びつけるためのプロジェクトです

佃島念仏踊り 萩原

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調査日:7月13日

調査場所:東京都中央区佃島

調査者:萩原雄太

 佃島の念仏踊りは、江戸時代、佃島に住んだ漁民たちによってはじめられた。かつては、江戸市中を巡回し寄進をいただいていたこともあるが、19世紀にこれが禁止され、佃島及び周辺の浜辺で踊られるようになる。現在は、佃島1丁目の広場で行われている。東京都の無形民俗文化財

 

 まずはじめに、子どもたちによる踊りがあり、近所の子供達が輪になって踊っている。少子化のご時世にもかかわらず、かなりの数の子どもたちが集っている。月島のタワーマンションの子どもたちだろうか。みんな賢そうだ。踊り終わった子どもたちは、大人から駄菓子屋で使用できる120円のチケットをもらっていた。嬉しそうなところを見ると、親が金持ちでも駄菓子は食べるようだ。

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 子ども踊りの後、大人たちによる踊りになる。

 この念仏踊りは、基本的に誰もが踊っていいもの。だが、必ず会場の一隅にある「無縁仏(精霊棚)」にお焼香をあげなければならない。ほんの僅かな行動にもかかわらず、この焼香が、死者に対する供養の間隔を踊りにもたらしてくる。この踊りは、隅田川や東京湾で水死した無縁仏の霊を慰めるために行われているのだ。

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 中央には簡素な櫓が設えられていて、その上で、音頭取りと呼ばれる老人が太鼓をたたき、歌を歌っている。歌の内容についてはよく聞き取れないが、周囲の人に聞いた所「人生を歌にしている」という説と、「佃島の事件を歌っている」という説、「男女の色恋沙汰を歌っている」説などさまざま。また、音頭取りの「持ち歌」というのがあるそうで、音頭取りはそれぞれの持ち歌を歌っているということ。よく見ると、小さい紙を見ながら歌っている。

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 踊りの最初、音頭取りの老人はおらず、テープから流れる音楽に合わせて踊る。音頭取りが櫓に登ると、彼の歌と太鼓に合わせて踊る。音頭取りの太鼓を、上手いか下手かで判断するなら、相当下手だ。リズムが一定していない。しかし、心地よく踊れてしまうから不思議。

 踊りの振付じたいは、とても簡単なものになっている。「右、左、右、左、手を叩く(以下、延々リピート)みたいな」しかし、簡単だからこそか、うまい人と下手な人の差が歴然。うまい人は、踊りに腰が入っており手の扱いも優雅で、ほとんど眼福というようなもの。しかし、自分の踊りはへっぴり腰であり、しかも、洋服で踊っているから何ともしまらない。

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 途中休憩をはさみ、同じ踊りをほぼ2時間踊り続ける。すると、さすがに振付も覚えるし、上手い下手という気を使うこともなくなる。踊りの輪を外れ、離れたところから見ると、その場の一体感とでも言えるようなものがみえてくる。個々人の角が取れて、身体がだんだんと馴染んでくるような、不思議な間隔。盛り上がりとは無縁のゆるい空気にもかかわらず、いつの間にか、それが体の芯にまで浸透している。だから、一体であれという種類の強制力も感じることはないし、個人が阻害されることもない。いつ抜けてもいいし、いつ参加してもいい。これが、おおらかさというものだろうか。

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 現在は、おそらく佃島で漁をによって生計を立てている人もいないだろうし、隅田川に水死体が上がるなんて、ほとんど聞いたことない。けど、彼らは相変わらず、無縁仏を供養するための踊りを踊っている。彼らには動機となる事象が失われている。けれども、彼らには盆踊りという方法と、漠然とした(それでいて確固たるイメージを持つ)供養という行動がある。いったい、何がこの念仏踊りを支えているのだろうか?

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